時間反転対称性の破れた超伝導体:微視的起源、検出手法、および物性への影響
はじめに:超伝導状態と時間反転対称性の破れ
超伝導状態は、電子がクーパーペアを形成し、マクロな量子コヒーレンスを示す凝縮相です。多くの古典的な超伝導体、例えば単純な金属超伝導体などでは、クーパーペアはスピン一重項かつ等方的(s波)な状態であり、時間反転対称性(TRS: Time Reversal Symmetry)を維持しています。しかしながら、近年盛んに研究されている非従来型超伝導体の中には、超伝導状態においてこのTRSが自発的に破れている例が多数報告されています。
超伝導状態におけるTRSの破れは、単に対称性の破れというだけでなく、秩序パラメータの構造に非自明な自由度が存在することを示唆しており、キラル超伝導やヘリカル超伝導といった特徴的なペアリング状態と強く結びついています。このような状態は、トポロジカル超伝導状態の候補となることもあり、マヨラナ粒子の探索や新しい量子現象の理解、さらには量子情報技術への応用といった観点からも極めて重要な研究対象となっています。
本記事では、リニア以外の超伝導技術、特に基礎物性研究の側面から、超伝導体におけるTRS破れの現象に焦点を当てます。TRS破れがどのような微視的機構で生じ得るのか、その検出にはどのような実験手法が有効であるのか、そして具体的な材料系での報告例とその物性への影響について、大学研究者の皆様に向けて深掘りして解説いたします。
超伝導における時間反転対称性の破れとは?
時間反転対称性とは、物理法則が時間の向きを反転させても変わらないという対称性です。量子力学的には、時間反転演算子 $\mathcal{T}$ によって記述されます。超伝導状態においてTRSが破れるとは、その超伝導秩序パラメータが時間反転操作に対して不変ではない状態を指します。これはしばしば、超伝導状態自身が微小な内部磁場を生成したり、巨視的な物理量に時間反転操作で符号を変える成分(例:磁化)が現れたりすることとして観測されます。
秩序パラメータがTRSを破る最も典型的なケースは、クーパーペアの内部状態が複素数である場合です。例えば、運動量空間におけるペアリング関数 $\Delta(\mathbf{k})$ が $\Delta(\mathbf{k}) \neq \Delta^*(-\mathbf{k})$ となる場合などが考えられます。これは、$\mathbf{k}$ と $-\mathbf{k}$ の状態間で位相差を持つペアリング、すなわちキラル状態(例:$p_x+ip_y$波、$d_{xz}+id_{yz}$波など)やヘリカル状態に対応します。これらの状態では、系全体の角運動量やスピン自由度に関連したTRS破れが生じ得ます。
また、多バンド超伝導体においては、異なるバンド間で形成される超伝導ギャップの間に固定された相対位相が存在する場合にもTRSが破れることがあります。特に、ギャップ関数が実数であっても、相対位相が0または$\pi$以外の場合にTRS破れが生じ得ます。例えば、二つのギャップ関数 $\Delta_1$ と $\Delta_2$ を持つ系で、秩序パラメータが $(\Delta_1, \Delta_2 e^{i\phi})$ と記述される場合、$\phi \neq 0, \pi$ でTRSが破れます。これは時間反転操作によって $e^{i\phi}$ が $e^{-i\phi}$ に変化するためです。
TRS破れの微視的起源
超伝導状態におけるTRS破れは、様々な微視的機構によって引き起こされ得ます。主な起源として、以下のようなものが考えられます。
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非自明なペアリング対称性:
- クーパーペアがスピン空間または軌道空間において非自明な角運動量を持つペアリング状態(例:p波、d波、f波など)を形成する場合、TRSが破れるキラル状態(例:$(p_x+ip_y)$波)やヘリカル状態が生じ得ます。これは、系の電子状態の構造(フェルミ面のトポロジー、スピン軌道相互作用の強さなど)と、電子間相互作用の性質によって決定されます。
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結晶構造における対称性の破れとスピン軌道相互作用:
- 結晶が空間反転対称性を持たない場合、強いスピン軌道相互作用が存在すると、運動量依存性の強い有効磁場が電子にかかります。これにより、スピン一重項とスピン三重項状態が混ざり合ったペアリング(混合パリティ状態)が可能となり、TRSが破れた状態が実現することがあります。非中心対称超伝導体はその典型例です。
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他の秩序との競合・共存:
- 超伝導相が、弱い強磁性秩序や反強磁性秩序、またはネマティック秩序といった別の秩序相と競合あるいは共存する場合、これらの他の秩序が超伝導秩序パラメータに影響を及ぼし、TRS破れを誘起することがあります。特に、磁気秩序との共存は内部磁場を生成するため、TRS破れの有力な原因となり得ます。
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多バンド効果と相対位相:
- 複数のバンドがフェルミ面を持つ多バンド系超伝導体において、異なるバンド間の超伝導ギャップが近接効果や相互作用によって結合している場合、それらのギャップの間にTRSを破る相対位相(0または$\pi$以外の位相差)が安定化することがあります。これは特定の電子間相互作用やバンド構造に依存します。
TRS破れの実験的プローブ
超伝導状態におけるTRS破れを検出するための実験手法は多岐にわたりますが、特に重要な手法として以下が挙げられます。
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μSR (ミューオンスピン回転/緩和/共鳴): μSRは、物質中に注入された正ミュオンのスピン偏極の時間発展を観測することで、ミュオンが存在する位置での局所的な内部磁場情報を得る手法です。超伝導状態においてTRSが破れている場合、その秩序パラメータの構造に起因する微小な内部磁場が自発的に発生することがあります。μSRはこの内部磁場を非常に高感度に検出できるため、超伝導体におけるTRS破れの有無を判断する最も直接的な手法の一つとして広く用いられています。特に、超伝導転移温度以下でミュオンスピンの緩和率が増加する場合、静的な内部磁場(すなわちTRS破れ)が存在する強い証拠とみなされます。
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偏極中性子散乱: 偏極中性子散乱は、物質中のスピン配置やスピンダイナミクスに関する情報を提供する手法です。特定の散乱ベクトルにおいて、TRS破れに起因するスピンの応答(例えば、キラルな磁気構造やスピン電流)を検出できる可能性があります。
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非相反輸送現象: TRSが破れている系では、運動量の向きを反転させたときに物理量が変化する非相反現象が現れることがあります。例えば、電流や熱流の向きを反転させたときに電気抵抗や熱抵抗の値が異なる超伝導ダイオード効果や、外部磁場ゼロでも生じる熱的ホール効果などが報告されています。これらの巨視的な輸送特性の測定は、TRS破れの存在を間接的に示唆する強力な証拠となり得ます。
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光学応答(カー効果・ファラデー効果): 超伝導状態におけるTRS破れは、光の偏光状態に影響を与えることがあります。特に、磁場印加なしにカー効果(反射光の偏光面回転)やファラデー効果(透過光の偏光面回転)が観測されることは、超伝導状態がTRSを破っていることの証拠とみなされます。これは、超伝導状態が持つ固有の微小な磁化やジャイロ磁気応答に起因します。
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STM/STS (走査型トンネル顕微鏡/走査型トンネル分光): STM/STSは、表面の局所的な電子状態や超伝導ギャップ構造を空間分解能高くプローブできる手法です。TRS破れを伴うキラルな超伝導状態では、表面やエッジに運動量とスピンがロックされた励起状態(例:マヨラナ様励起)が現れることがあります。STM/STSによってこれらの局所的な状態密度やトンネルコンダクタンスの非対称性を観測することで、TRS破れの兆候やキラルな性質を探ることができます。
具体的な材料系におけるTRS破れの報告例
超伝導状態におけるTRS破れは、様々なクラスの物質で報告されています。代表的な例をいくつか挙げます。
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ストロンチウムルテネート ($\text{Sr}_2\text{RuO}_4$): 層状ペロブスカイト構造を持つこの物質は、古くからキラルp波超伝導体の有力候補として研究されています。μSR実験や他の実験(極低温カー効果など)から、超伝導転移温度以下でTRSが破れていることが強く示唆されています。そのペアリング対称性については依然として活発な議論が続いていますが、スピン三重項キラルp波ペアリングがTRS破れの最も自然な候補の一つと考えられています。
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重いフェルミオン系超伝導体: $\text{UPt}3$, $\text{PrOs}_4\text{Sb}{12}$, $\text{SrFe}_2\text{As}_2$の圧力相など、多くの重いフェルミオン系超伝導体で超伝導転移の下に複数の超伝導相が存在し、その一部または全部でTRS破れがμSR実験などから報告されています。これらの系では、複雑な多成分秩序パラメータや、超伝導と他の秩序(磁気秩序など)の相互作用がTRS破れの起源に関わっていると考えられています。
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パイロクロア酸化物超伝導体 ($\text{Cd}_2\text{Re}_2\text{O}_7$): この物質は、金属-絶縁体転移と同時に構造相転移を起こし、その低温金属相で超伝導を示します。超伝導相においてμSRによるTRS破れの証拠が報告されており、空間反転対称性が破れた結晶構造と強いスピン軌道相互作用が関与している可能性が指摘されています。
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鉄系超伝導体: 特定の組成や圧力条件下にある鉄系超伝導体の一部で、超伝導相におけるTRS破れがμSRや他の実験手法から報告されています。これらの系では、ネマティック秩序やスピン密度波といった他の秩序との競合・共存が複雑な相図を生み出しており、TRS破れがそれらの秩序や多バンド構造とどのように関連しているのかが研究されています。
TRS破れと基礎物理・応用への示唆
超伝導状態におけるTRS破れは、超伝導の基本的な理解を深める上で非常に重要です。TRS破れを伴う超伝導状態の特定は、非従来型ペアリング対称性(スピン三重項、高次軌道角運動量など)を同定する強力な手がかりとなります。特に、キラルp波超伝導体のようなTRS破れを伴う超伝導体は、バルクギャップを持ちながら表面やエッジにゼロエネルギーマヨラナ励起を持つトポロジカル超伝導状態の候補と考えられています。マヨラナ粒子の存在は、非アーベリアン統計に従うため、フォールトトレラントな量子計算への応用可能性から注目されています。
また、TRS破れに起因する非相反輸送現象は、超伝導体を活用した新しい機能性デバイスの設計に示唆を与えます。例えば、磁場ゼロでの超伝導ダイオード効果は、整流作用を持つ超伝導素子につながる可能性があります。
まとめと今後の展望
超伝導状態における時間反転対称性の破れは、非従来型超伝導体の物理を理解する上で避けては通れない重要な現象です。その微視的な起源は多岐にわたり、非自明なペアリング対称性、結晶構造における対称性の破れ、他の秩序との相互作用、多バンド効果などが複合的に関与している場合もあります。μSR、偏極中性子散乱、非相反輸送、光学応答、STM/STSといった様々な実験手法によってTRS破れの証拠が積み重ねられており、$\text{Sr}_2\text{RuO}_4$や重いフェルミオン系、鉄系超伝導体など、多くの材料系でその存在が示唆されています。
TRS破れの研究は、非従来型ペアリングのメカニズム解明、トポロジカル超伝導状態の探索、そして新しい超伝導機能素子の可能性といった、基礎から応用まで幅広い分野に波及する可能性を秘めています。今後の研究では、新しいTRS破れを示す材料系の探索、複数の実験手法を組み合わせたTRS破れ相の確実な同定とペアリング対称性の決定、そして微視的なメカニズムのより深い理論的理解が求められます。特に、原子分解能でのSTM/STSによる局所的なTRS破れのプローブや、時間分解分光によるTRS破れダイナミクスの追跡など、高度な実験技術を用いたアプローチが、この分野のブレークスルーをもたらす鍵となるでしょう。
超伝導におけるTRS破れの研究は、未解明な部分が多く残されている挑戦的な分野であり、凝縮系物理学の最前線の一つとして、今後さらなる発展が期待されます。