超伝導技術の裏側

時間分解分光が解き明かす超伝導体におけるクーパーペアダイナミクス

Tags: 超伝導, 時間分解分光, クーパーペア, 非平衡ダイナミクス, テラヘルツ

はじめに:超伝導ダイナミクス研究の新たな地平

超伝導状態は、電子がクーパーペアと呼ばれる束縛状態を形成し、電気抵抗ゼロで電流を流す巨視的な量子状態です。このクーパーペアの形成・破壊・再結合といった動的なプロセス、すなわち超伝導ダイナミクスは、超伝導状態の本質を理解する上で極めて重要です。特に、光励起などによる非平衡状態におけるクーパーペアの応答は、基礎物理学的な興味に加え、超高速スイッチング素子やTHz帯応答デバイスなど、新たな超伝導応用技術の可能性を拓く観点からも注目されています。

近年、時間分解分光法、特にテラヘルツ(THz)時間分解分光法は、超伝導体における電荷キャリアおよびクーパーペアのダイナミクスを直接的にプローブする強力な手法として発展してきました。これにより、フェムト秒からピコ秒の時間スケールで進行する準粒子の生成・緩和過程や、超伝導ギャップの回復、BCSコヒーレンス振動など、非平衡超伝導状態における素励起の複雑な相互作用が詳細に明らかになりつつあります。本稿では、この時間分解分光法を用いた超伝導体におけるクーパーペアダイナミクス研究の原理、実験手法、および主要な研究成果について深く掘り下げ、その学術的意義と将来展望について考察いたします。

超伝導状態における非平衡ダイナミクスの物理

平衡状態にある超伝導体では、基底状態としてクーパーペアが凝縮しています。光励起や電流パルスなどの外部摂動により、この平衡状態が破られると、様々な非平衡過程が引き起こされます。主要なダイナミクスとしては以下が挙げられます。

  1. クーパーペアの破壊と準粒子の生成: 摂動エネルギーが超伝導ギャップの2倍($2\Delta$)を超える場合、クーパーペアが破壊され、2つの準粒子(ボゴリューボフ準粒子)が生成されます。
  2. 準粒子の緩和: 生成された高エネルギー準粒子は、フォノン放出などを通じてエネルギーを失い、超伝導ギャップ端付近に緩和します。この過程は通常ピコ秒程度の時間スケールで進行します。
  3. 準粒子の再結合とクーパーペアの回復: 緩和した準粒子は、相互作用を通じて再びペアを形成し、クーパーペアに戻ります。この再結合過程も、フォノン放出を伴うことが多く、やはりピコ秒からナノ秒の時間スケールで進行します。
  4. BCSコヒーレンスダイナミクスとヒッグスモード: コヒーレントな光励起により、超伝導序変数(超伝導ギャップ)の振幅が摂動され、いわゆるヒッグスモードと呼ばれる超伝導ギャップの振幅モードや、BCSコヒーレンス振動が励起されることがあります。これらは、超伝導状態の巨視的な量子性を反映した現象であり、超伝導ペアリング機構を探る上で重要な情報を提供します。
  5. フォノンダイナミクス: 光励起により格子が加熱されたり、特定のコヒーレントフォノンが励起されたりします。これらのフォノンは、電子系(クーパーペアおよび準粒子)と相互作用し、超伝導ダイナミクスに影響を与えます。特に、フォノンによるペアリング機構を持つ超伝導体では、フォノンの振る舞いが超伝導状態の回復過程に強く関連します。

これらの過程は互いに密接に関連しており、複雑なネットワークを形成しています。時間分解分光法は、これらの素過程を分離し、その時間スケールと物理的メカニズムを定量的に解明することを可能にします。

時間分解分光法によるプローブ原理

超伝導研究で広く用いられる時間分解分光法は、ポンプ-プローブ法に基づいています。強力なポンプ光パルスを用いて物質を瞬間的に励起し、その後時間遅延をかけて照射される弱いプローブ光パルスの透過率、反射率、あるいは非線形応答などの変化を測定することで、励起状態のダイナミクスを追跡します。

超伝導体においては、超伝導ギャップ以下に位置する準粒子状態密度や、クーパーペアの応答が、物質の光学的および電気的特性に敏感に影響を与えます。特にTHz周波数帯は、超伝導ギャップ周波数($2\Delta/h$)に対応することが多く、THzプローブ光は超伝導状態の低エネルギー励起、すなわち準粒子やクーパーペアの応答を直接的に観測するのに適しています。

THz時間分解分光法では、ポンプ光で超伝導体を励起し、時間遅延後の試料を透過または反射したTHzプローブパルスの電場波形を測定します。超伝導状態の動的な変化により、試料のTHz伝導率($\sigma(\omega, t)$)が変化し、これが透過・反射THzパルスの電場波形の振幅や位相の変化として観測されます。観測されたTHzパルスの変化から、時間分解THz伝導率スペクトル$\Delta\sigma(\omega, t) = \sigma(\omega, t) - \sigma_{SC}(\omega)$($\sigma_{SC}(\omega)$は平衡状態のTHz伝導率)を導出できます。

非平衡状態におけるTHz伝導率は、主に準粒子の数密度とクーパーペアの超流動剛性(あるいは凝縮密度)に依存します。ポンプ光によりクーパーペアが破壊されて準粒子が増加すると、準粒子による吸収が増加し、同時に超流動剛性が減少します。THz伝導率の変化を観測することで、準粒子の生成・緩和過程や、それと連動した超流動剛性の回復過程(すなわちクーパーペアの回復ダイナミクス)を定量的に評価することが可能です。

クーパーペアダイナミクスの実験事例と解釈

様々な超伝導体に対して時間分解分光実験が行われており、それぞれに特徴的なダイナミクスが観測されています。

1. BCS超伝導体における準粒子再結合ダイナミクス

NbNなどの典型的BCS超伝導体では、ポンプ光により生成された準粒子がフォノンを放出しながらエネルギーを失い、最終的に再結合してクーパーペアに戻る過程が明確に観測されます。THz伝導率の回復曲線は、準粒子の再結合率に支配され、試料温度やポンプ光強度に依存した特徴的な時間スケールを示します。これは、非平衡BCS理論に基づく解析と比較することで、準粒子の拡散や再結合に関わる物理パラメータを抽出できます。

2. 高温超伝導体における複雑な非平衡応答

銅酸化物高温超伝導体(例: YBa$2$Cu$_3$O${7-\delta}$, Bi$2$Sr$_2$CaCu$_2$O${8+\delta}$)では、より複雑なダイナミクスが観測されます。超伝導ギャップの回復に加え、擬ギャップ状態や他の競合秩序(例えばストライプ秩序)との関連が議論されています。ポンプ光によって擬ギャップ状態が一時的に抑制され、超伝導状態が強められるように見える「光誘起超伝導」現象も観測されており、これは非熱的なメカニズム(例えばコヒーレントフォノンによる相互作用の変調)によってクーパーペアが形成されやすくなる可能性が示唆されています。THz応答のスペクトル形状は、d波ペアリングに特徴的な準粒子状態密度を反映し、異方的な超伝導ギャップ回復ダイナミクスが観測されることもあります。

3. 非従来型超伝導体におけるBCSコヒーレンスとヒッグスモード

La${1.85}$Sr${0.15}$CuO$_4$などの銅酸化物や、KFe$_2$As$_2$などの鉄系超伝導体では、ポンプ光の光子エネルギーが超伝導ギャップの2倍よりも小さい場合でも、THz伝導率に大きな変化が観測されることがあります。これは、コヒーレントな光励起によって超伝導状態の位相や振幅が揺らされ、BCSコヒーレンス振動やヒッグスモードが励起された可能性として解釈されています。これらのコヒーレントダイナミクスは、超伝導ペアリングの対称性や機構を直接的に探るための重要な情報を提供します。特に、複数の超伝導ギャップを持つ材料や、ノードを持つペアリング状態では、これらのコヒーレンス応答に特徴的な周波数や減衰が観測され、ギャップ構造の解明に役立てられています。

4. トポロジカル材料/超伝導体ハイブリッド系

トポロジカル絶縁体やワイル半金属と超伝導体を組み合わせたヘテロ構造では、近接効果によりトポロジカル表面状態やバルク状態に超伝導相が誘起されます。このような系では、マヨラナ準粒子などのエキゾチックな励起状態が期待されています。時間分解分光法は、このようなハイブリッド系における超伝導近接効果によって誘起されたペアリングダイナミクスや、トポロジカル励起と超伝導励起の相互作用を研究するための有力なツールとして注目されています。例えば、トポロジカル超伝導体候補材料において、時間分解スペクトルからバルクとは異なる表面超伝導ダイナミクスを分離・同定する試みが行われています。

課題と今後の展望

時間分解分光法を用いた超伝導ダイナミクス研究は大きな進展を遂げていますが、未だ多くの課題が存在します。例えば、得られる情報が運動量積分されているため、ペアリングの異方性や運動量空間におけるダイナミクスを詳細に理解するには、運動量分解能を持つ時間分解実験手法(例:時間分解ARPES)との連携が不可欠です。また、ポンプ光による加熱効果(熱的な準粒子生成)と、非熱的な(コヒーレントな)励起効果を分離し、純粋なコヒーレントダイナミクスを抽出するためには、実験条件の精密な制御と高度な理論解析が求められます。

今後の展望としては、以下の点が挙げられます。

時間分解分光法は、超伝導状態という量子多体問題における素励起の相互作用や、巨視的な量子秩序の動的な振る舞いを理解するための極めて強力なツールです。今後、他の先端的な実験手法や理論計算との連携を深めることで、超伝導物理の未開拓領域がさらに開拓されていくと期待されます。特に、非平衡ダイナミクスの詳細な理解は、室温超伝導やトポロジカル超伝導といった、基礎物理学的なブレークスルーに加え、超高速・低損失な量子デバイスの実現に向けた技術開発にも不可欠な知見をもたらすでしょう。

結論

本稿では、時間分解分光法、特にTHz時間分解分光法が超伝導体におけるクーパーペアダイナミクス研究にどのように貢献しているかについて概説いたしました。この手法は、超伝導状態の非平衡応答をフェムト秒からピコ秒の時間分解能で捉えることを可能にし、準粒子の生成・緩和・再結合過程や、BCSコヒーレンスダイナミクス、ヒッグスモードの励起といった、超伝導状態における素励起の相互作用を詳細に解明しています。BCS超伝導体から高温超伝導体、さらにはトポロジカル材料/超伝導体ハイブリッド系に至るまで、多様な超伝導材料における特徴的な非平衡ダイナミクスの観測事例を紹介しました。

時間分解分光研究は未だ発展途上であり、運動量分解能や空間分解能の向上など、多くの課題を克服する必要があります。しかしながら、その持つポテンシャルは非常に大きく、非平衡ダイナミクスの詳細な理解を通じて、超伝導ペアリング機構の解明、競合秩序との相互作用の理解、さらには非平衡状態を利用した超伝導相の制御といった、超伝導物理学の根幹に関わる研究に貢献するだけでなく、超高速・高機能超伝導デバイス開発のための基盤技術としても重要な役割を果たすと強く期待されます。この分野のさらなる進展が、超伝導科学に新たなブレークスルーをもたらすことを確信しています。