超伝導体における熱電現象:エントロピー輸送と非平衡応答の物理
はじめに:超伝導状態における熱電現象の非自明性
超伝導体は、臨界温度以下で電気抵抗が完全にゼロになることで知られています。しかし、熱輸送や、温度勾配によって生じる電圧といった熱電現象については、常伝導状態とは異なる複雑な振る舞いを示します。理想的なBCS理論に基づく完全超伝導体では、超伝導電流がエントロピーを持たないクーパーペアによって担われるため、ゼーベック効果(温度勾配による電圧発生)やネルンスト効果(温度勾配と磁場によって生じる横電圧)はゼロになると予測されます。
にもかかわらず、現実の超伝導体、特に第二種超伝導体の混合状態や、不純物、結晶構造の非均一性を持つ超伝導体、あるいは非従来型超伝導体においては、しばしば非自明な熱電効果が観測されます。これらの現象は、超伝導状態におけるエントロピー輸送機構や非平衡ダイナミクスに関する重要な情報を含んでおり、超伝導ペアリング対称性、ギャップ構造、さらには量子臨界現象や疑似ギャップといった複雑な物性の理解に繋がる可能性を秘めています。本稿では、リニア以外の超伝導技術の根幹をなす物理現象として、超伝導体における熱電現象の物理的起源と、その研究がもたらす学術的な示唆について深掘りします。
超伝導状態における熱輸送と熱電効果の基本
常伝導体における熱電効果は、主にフェルミエネルギー近傍の電荷担体(電子や正孔)の非対称な散乱によって生じるエントロピーの流れと関連しています。温度勾配が存在すると、高温側から低温側へ電荷担体が拡散し、この流れに伴って電荷とエントロピーが輸送され、電圧や電流が発生します。
超伝導状態においては、クーパーペアは電荷を運びますがエントロピーは運びません。したがって、電気抵抗がゼロである超伝導電流自体は熱電効果に寄与しません。しかし、超伝導状態でも熱は輸送されます。熱輸送を担う主な要素は以下の通りです。
- 準粒子: 超伝導ギャップを超えるエネルギーを持つ電子励起。温度が上昇するとその数が増加し、格子振動(フォノン)との相互作用を通じて熱を輸送します。
- フォノン: 格子振動。これも主要な熱担体です。フォノン輸送は電荷輸送とは直接関連しませんが、準粒子や渦糸との相互作用を通じて熱電効果に間接的に影響を与えることがあります。
- 渦糸 (Vortices): 第二種超伝導体を臨界磁場 $H_{c1}$ と $H_{c2}$ の間の磁場中に置いた際に形成される磁束量子の束縛状態。渦糸中心部は常伝導状態に近い性質を持ち、準粒子を含んでいます。渦糸の運動は熱とエントロピーを輸送し得ます。
理想的なBCS超伝導体では、絶対零度以外の温度では有限の数の準粒子が存在しますが、温度勾配による準粒子の流れが、エネルギーギャップの存在により常伝導体ほど効率的に電荷輸送に結びつかないため、ゼーベック効果は小さくなると予測されます。また、ネルンスト効果についても、理想的な状況下ではゼロとなります。
非自明な熱電現象の物理的起源
現実の超伝導体で観測される非ゼロの熱電効果は、理想的なBCSモデルからの逸脱や、特定の物理機構によって説明されます。
1. 磁束フローに起因するネルンスト効果
第二種超伝導体の混合状態において、温度勾配 $\nabla T$ と磁場 $H$ が存在する場合、渦糸が移動し、その運動が横電圧(ネルンスト電圧)を誘起することがあります。渦糸は中心部に常伝導性のコアを持ち、周囲の超伝導秩序パラメータが空間的に変化しています。温度勾配が存在すると、高温側の渦糸がより大きなエントロピーを持つため、エントロピーを下げる方向に移動しようとします(熱泳動、thermophoresis)。この渦糸の温度勾配に沿った(または逆方向の)流れが、ローレンツ力とは異なる機構で発生する横電圧として観測されるのが、磁束フローに起因するネルンスト効果です。
渦糸一本あたりのエントロピー $S_v$ は、その中心部の常伝導コアにおける準粒子のエントロピーに由来します。温度勾配 $\nabla T$ と磁場 $B = n_v \phi_0$ ($n_v$ は渦糸密度、$\phi_0$ は磁束量子)が存在する場合、ネルンスト係数 $\nu$ は、単純化されたモデルでは渦糸エントロピー $S_v$ に比例すると考えられます(Lindblom理論など)。
$\nu \propto \frac{S_v \phi_0}{T}$
混合状態におけるネルンスト効果の測定は、渦糸ダイナミクスだけでなく、渦糸コアの電子状態や、超伝導相関が共存する温度領域(例えば、高温超伝導体における疑似ギャップ領域)でのエントロピー輸送を調べる上で有効な手段となります。特に、高温超伝導体の常伝導状態における大きなネルンスト効果は、ペアリング相関が臨界温度 $T_c$ より高い温度で存在することの証拠の一つとして議論されています。
2. 準粒子輸送とペアリング対称性
理想的なBCS超伝導体では準粒子による熱電効果は小さいとされますが、現実の超伝導体では準粒子の輸送が非自明な熱電効果を生じさせることがあります。これは特に、異方的あるいはノード(ギャップがゼロになる点や線)を持つギャップ構造を持つ非従来型超伝導体で顕著になります。
例えば、d波超伝導体のようなノードを持つギャップでは、ノード近傍の準励起状態が低温でも存在し、これらが熱輸送や電荷輸送に関与します。不純物散乱や結晶の異方性によって、これらの準粒子の散乱時間が運動量空間で異方性を持つと、温度勾配や電場印加による準粒子の流れに偏りが生じ、熱電効果が現れます。
また、多バンド超伝導体では、各バンドのギャップやフェルミ速度、有効質量が異なるため、熱電効果が複雑になります。バンド間散乱も重要な役割を果たし得ます。熱電効果の測定は、複数のギャップの存在やその異方性をプローブする手段となり得ます。
3. 非平衡超伝導状態
光励起や高速な電流印加などによって超伝導状態が非平衡になると、クーパーペアの破壊や準粒子の生成が起こり、熱電応答が変化します。この非平衡状態における熱電効果の研究は、超伝導体のエネルギー緩和過程や、高速応答素子としての応用を考える上で重要です。例えば、超伝導体を用いた熱検出器(bolometer)などは、この原理を応用したものです。
具体的な観測例と研究動向
超伝導体における熱電現象の研究は、特に銅酸化物高温超伝導体やその他の非従来型超伝導体の分野で活発に行われています。
- 銅酸化物高温超伝導体: 常伝導状態での巨大なネルンスト効果は、擬ギャップ相における短距離超伝導相関や、常伝導性と超伝導性の競合・共存を示す証拠として広く研究されています。超伝導状態に入ってからも、磁場中で観測されるネルンスト効果は、渦糸ダイナミクスや混合状態における準粒子の振る舞いを反映していると考えられています。
- 鉄系超伝導体: 多バンド性を持つ鉄系超伝導体では、各バンドの寄与やバンド間散乱が熱電効果に影響を与えます。ネマティック秩序やスピン密度波といった他の秩序との競合・共存も熱電現象に複雑な影響を与え、超伝導機構の解明に繋がる情報をもたらしています。
- トポロジカル超伝導体候補物質: トポロジカルな表面状態を持つ超伝導体候補物質における熱電効果も注目されています。マヨラナ準粒子などのエッジ励起が熱輸送や熱電応答にどのように寄与するかは、理論的・実験的に探索されているフロンティアの一つです。
- 低次元・メゾスコピック系: 超伝導薄膜、ワイヤー、ナノ粒子など、低次元やメゾスコピックな構造を持つ超伝導体では、サイズ効果や量子閉じ込め効果、表面・界面効果が熱電現象に大きな影響を与えます。例えば、超伝導体と他の物質(強磁性体、半導体など)のヘテロ構造における熱電効果は、近接効果による超伝導性の誘起や改変と関連して研究されています。
理論的アプローチ
超伝導状態における熱電効果の理論的解析には、主に以下のような手法が用いられます。
- ボルツマン輸送方程式: 超伝導ギャップを考慮した準粒子のボルツマン輸送方程式を解くことで、準粒子による熱電輸送係数を計算します。ギャップの異方性や不純物散乱の効果を取り込むことが重要です。
- グリーン関数法: 系の微視的な情報(自己エネルギー、相互作用など)を基に、久保公式などを用いて輸送係数を計算します。非平衡摂動論や有限温度のグリーン関数を用いることで、より詳細な情報が得られます。
- ゲージ不変なアプローチ: 電磁場や温度勾配といった外場に対する応答関数を、ゲージ不変性を保つように定式化することで、理論的な整合性を確保します。
これらの理論計算と実験結果の比較を通じて、超伝導ギャップ構造、ペアリング対称性、散乱機構、渦糸ダイナミクスなどに関する理解が深まります。
まとめと展望
超伝導体における熱電現象は、電気抵抗ゼロという性質からは直感的に予測しにくい、しかし非常に豊かで複雑な物理現象です。特に、第二種超伝導体の混合状態における磁束フローに起因するネルンスト効果や、非従来型超伝導体における準粒子輸送に起因する熱電効果は、超伝導状態のミクロな構造やダイナミクスを解明するための強力なプローブとなり得ます。
現在の研究は、これらの熱電効果を精密に測定し、複雑な材料系(高温超伝導体、鉄系超伝導体、トポロジカル超伝導体など)における超伝導機構、多バンド性、異方的ギャップ、量子臨界現象などとの関連性を明らかにすることに焦点を当てています。非平衡状態や低次元系での研究も進んでおり、超伝導体の基礎物理の理解を深めるだけでなく、新しい超伝導デバイスや機能材料の開発にも繋がる可能性を秘めています。
超伝導技術の「裏側」には、リニアのような大規模応用とは異なる、このような基礎物理の深い探求があります。超伝導体における熱電現象の研究は、今後も凝縮系物理学の重要なテーマの一つであり続けるでしょう。