超伝導研究におけるμSRの応用:磁気秩序、ペアリング対称性、時間反転対称性の破れ
はじめに
超伝導状態は、電気抵抗ゼロと完全反磁性(マイスナー効果)を特徴とする、量子力学的な巨視的現象です。特にリニアモーターカーに代表される強磁場発生技術や電力輸送への応用が広く知られていますが、「超伝導技術の裏側」では、それ以外の多様な超伝導現象やその探求を支える技術に焦点を当てています。本稿では、超伝導体の微視的な性質、特に磁気秩序、クーパーペアの対称性、および時間反転対称性の破れといった重要な情報を提供できる実験手法であるミュオンスピン回転/緩和/共鳴 (μSR) について、その超伝導研究への応用を中心に解説いたします。
μSRは、物質中に注入されたスピン偏極したミュオンの非対称崩壊を利用して、物質中の磁気環境をプローブする手法です。超伝導体、特に非従来型超伝導体では、しばしば磁気秩序との競合や共存、あるいは自発的な内部磁場の発生といった現象が見られます。μSRは、バルクの磁気測定では捉えきれないような微弱な、あるいは短距離の磁気秩序、さらにはクーパーペア形成に伴う内部磁場の変化などを検出する感度を持っています。このユニークな能力により、μSRは様々なクラスの非従来型超伝導体の研究において、不可欠なツールとなっています。
μSR法の原理と超伝導体における情報
μSR法では、加速器で生成されたほぼ100%スピン偏極した正ミュオン ($\mu^+$) を試料中に注入します。ミュオンは試料中で減速し、最終的に不純物として停止します。停止したミュオンのスピンは、その周囲の局所的な磁場を感じ、歳差運動を行います。その後、ミュオンは寿命約2.2マイクロ秒で陽電子とニュートリノに崩壊します。この陽電子は、ミュオンのスピン方向に対して非対称に放出されるという性質があります。複数の方向に取り付けられたカウンターで陽電子の数を測定することで、ミュオンのスピンが時間の経過とともにどのように変化したか、すなわち試料中の局所磁場分布やそのダイナミクスに関する情報を得ることができます。
超伝導体にμSRを適用する際、得られる主要な情報は以下の通りです。
-
磁場侵入長 ($\lambda$) の測定: 第二種超伝導体に外部磁場を印加すると、磁束線が侵入し、試料内に不均一な磁場分布(ボルテックス格子)が生じます。この磁場分布は、超伝導電流が磁場を遮蔽する深さである磁場侵入長に依存します。μSRでは、ボルテックス格子による局所磁場の空間分布を平均化して観測されるミュオンスピン緩和率から、磁場侵入長を決定することができます。磁場侵入長の温度依存性や磁場依存性は、超伝導ギャップの形状(s波、p波、d波など)や、超伝導担体の有効質量・密度に関する重要な情報を含んでいます。例えば、低温での緩和率の温度依存性が$T$に比例する場合、ノードを持つギャップ構造を示唆します。
-
内部磁気秩序の検出: 超伝導体と磁気秩序が競合または共存する系において、μSRは非常に感度高く内部磁場を検出できます。μSRスペクトルにおける歳差運動の周波数や緩和率は、静的あるいは動的な磁気秩序の存在を示します。これにより、磁気秩序の転移温度や秩序パラメータ、超伝導状態との相図における競合・共存領域の特定が可能となります。
-
時間反転対称性の破れ (TRSB) の検出: 一部の非従来型超伝導体では、超伝導転移温度以下で自発的な内部磁場が発生し、時間反転対称性が破れることがあります。これは、クーパーペアが単なるスカラーではなく、スピンや軌道角運動量、運動量などに依存したより複雑な対称性を持つ(例:カイラルd波、ヘリカルp波など)場合に起こり得ます。ゼロ磁場μSR測定において、超伝導転移温度以下でミュオンスピンの緩和率が自発的に増加することは、TRSBの強力な証拠となります。これは、ミュオンサイトにおける非常に小さな内部磁場の発生を反映しています。
超伝導研究におけるμSRの具体的な応用事例
μSRは、以下のような多様な超伝導体クラスの研究に広く応用され、多くの重要な発見に貢献してきました。
- クプラート高温超伝導体: 磁気秩序との関連や、擬ギャップ状態におけるスピン揺らぎ、さらにはペアリング対称性(主にd波)に関する研究にμSRが用いられてきました。ドーピングによる相図の進化や、超伝導状態での微弱な磁性の検出などが報告されています。
- 鉄系超伝導体: 鉄系超伝導体では、反強磁性秩序と超伝導が密接に関連しており、しばしば共存相が見られます。μSRは、超伝導転移と磁気転移の相対的な位置関係、磁気秩序のタイプ(ストライプ型など)、および超伝導状態における磁気揺らぎの役割などを調べる上で重要な情報を提供しています。また、磁場侵入長の測定から、多バンド性やギャップ構造に関する洞察が得られています。
- 重いフェルミオン超伝導体: 強相関電子系である重いフェルミオン系では、超伝導はしばしば磁気秩序の近傍で出現します。μSRは、磁気秩序と超伝導の競合・共存を調べる上で不可欠な手法であり、またSr$_2$RuO$_4$のような系において、カイラルp波超伝導に関連する時間反転対称性の破れを検出した初期の研究でもμSRが重要な役割を果たしました。
- トポロジカル超伝導体候補物質: マヨラナ粒子の実現が期待されるトポロジカル超伝導体候補物質においても、μSRは活発に用いられています。例えば、銅ドープされたビスマステルライド(Bi$_2$Se$_3$など)の候補物質において、超伝導状態でのTRSBの有無がμSRによって調べられています。TRSBは、非自明なトポロジーを持つペアリング状態の兆候の一つと考えられています。
- 新規超伝導体: 新しく発見される様々なクラスの超伝導体(例:水素化物超伝導体、層状窒化物、カルコゲナイドなど)において、その超伝導特性を理解するための初期段階で、μSRによる磁場侵入長測定や内部磁気秩序の探索が精力的に行われています。
μSRによって検出されるTRSBは、特に非従来型超伝導体のペアリング対称性を特定する上で強力な手がかりとなります。自発的な内部磁場は非常に小さく(通常ガウス程度)、他の測定手法では検出が困難な場合がありますが、μSRはミュオンサイトにおける極めて局所的な磁場変化に高感度であるため、TRSBの確実な証拠を提供できます。ただし、TRSBを観測しただけではペアリング対称性を一意に決定することは困難であり、他の実験手法(NMR/NQR、中性子散乱、角度分解光電子分光 (ARPES) など)や理論計算との組み合わせが不可欠です。
μSR研究の最近の動向と展望
近年、超高圧下でのμSR実験や、低温での高磁場μSR測定、さらには時間分解μSRといった新しい技術開発が進んでいます。これにより、これまでアクセスが困難であった物質の状態や、超伝導状態のダイナミクスに関する情報が得られるようになりつつあります。また、材料科学の進展により発見される多様な新規超伝導体、例えば原子層物質や分子性超伝導体などへのμSRの応用も期待されています。
μSRは、超伝導体のマクロな特性だけでは見えない微視的な側面、特に磁気的な性質やペアリング状態の一端を捉える独自の能力を持っています。他の様々な実験手法と相補的に用いられることで、非従来型超伝導体のメカニズム解明や新しい超伝導物質の探索において、今後も重要な役割を果たしていくと考えられます。
結論
μSR法は、超伝導体内部の局所磁場環境に関する微視的な情報を提供することで、磁場侵入長の決定、内部磁気秩序の検出、そして特に重要な時間反転対称性の破れの探索において、非従来型超伝導体の研究に多大な貢献をしてきました。クプラート、鉄系、重いフェルミオン、トポロジカル超伝導体候補物質など、多様な物質系への応用を通じて、超伝導状態の磁気秩序との関係性やクーパーペアの対称性に関する理解を深める上で不可欠なツールとなっています。今後の技術開発と新しい物質系への応用により、μSRは超伝導物理学のさらなる進展に寄与し続けることでしょう。