多バンド超伝導体における多重超伝導ギャップの物理とその解明へのアプローチ
はじめに
超伝導現象は、特定の物質が臨界温度以下で電気抵抗ゼロと完全反磁性を示す量子相転移現象であり、基礎物理学の研究対象としてのみならず、リニアモーターカー、MRI、電力輸送、高エネルギー物理学実験装置など、多岐にわたる応用技術の基盤となっています。しかし、これらの応用で広く知られているのは、ごく一部の超伝導体やその現象(例えば、メスナー効果やピン止め効果)に過ぎません。超伝導体の研究領域は非常に広範であり、特にリニア応用とは異なる原理や材料系に基づく、多様な「知られざる」超伝導技術やその根底にある物理が探求されています。
本記事では、その中でも「多バンド超伝導体」に焦点を当てます。従来のBCS理論で記述される多くの超伝導体は、単一のバンド(フェルミ面)におけるクーパーペア形成を仮定しています。しかし、実際の物質、特に複雑な結晶構造や電子状態を持つ系では、複数の電子バンドがフェルミ準位を跨いで存在し、それぞれが超伝導状態に寄与することがあります。このような系を多バンド超伝導体と呼び、そこでは複数の超伝導ギャップが出現したり、異なるバンド間でのクーパーペア散乱(バンド間散乱)がペアリングメカニズムに重要な役割を果たしたりするなど、単バンド超伝導体とは異なる、豊かで複雑な物理現象が観測されます。本稿では、この多バンド超伝導体における多重超伝導ギャップの物理とその解明に向けた実験的・理論的アプローチについて、専門家の視点から掘り下げていきます。
多バンド超伝導体とは
多バンド超伝導体は、その名の通り、複数の電子バンドがフェルミ準位近傍に存在し、それぞれのバンドが独立あるいは相互作用しながら超伝導状態に寄与する物質群です。代表的な物質系としては、古くから知られているMgB$_2$や、近年盛んに研究されている鉄系超伝導体(FeAs系、FeSe系など)、特定のクラスの銅酸化物超伝導体、一部のヘビーフェルミオン超伝導体、さらには高圧下超伝導を示す水素化物などが挙げられます。
これらの物質では、結晶構造や原子配置によって複数の軌道が混成し、結果として複数の分散関係(バンド構造)がフェルミ準位を通過します。各バンドにおける電子の有効質量、フェルミ速度、状態密度などは一般に異なり、これが超伝導特性の複雑さの源となります。
多重超伝導ギャップの物理
単バンドBCS理論では、超伝導ギャップはフェルミ面に沿って一定の値を持つと仮定されます。しかし、多バンド超伝導体では、各バンドが独自の超伝導ギャップを持つことが一般的です。これらのギャップは、そのサイズ(大きさ)や対称性(s波、p波、d波など)がバンドによって異なる場合があります。
例えば、MgB$_2$では、ホウ素原子の$\sigma$軌道由来の2次元的なバンドと、$\pi$軌道由来の3次元的なバンドがフェルミ準位に存在します。実験的には、比較的大きなギャップ(約7 meV)が$\sigma$バンドに、小さなギャップ(約1.5 meV)が$\pi$バンドにそれぞれ対応していることが明らかにされています。これは、$\sigma$バンドの状態密度が大きく、比較的強い電子-フォノン相互作用を持つためと考えられています。
鉄系超伝導体は、鉄原子のd軌道由来の複数のバンドがフェルミ準位に現れ、系によって電子ポケットとホールポケットが混在する複雑なフェルミ面構造を持ちます。ここでは、バンド間のクーパーペア散乱が超伝導ペアリングに重要な役割を果たすと考えられており、特にスピン揺らぎを介したバンド間反強磁性的な相互作用がs±波対称性(ギャップの符号が異なるバンドが存在する)を持つペアリングを引き起こす可能性が理論的に提案され、活発な議論が続いています。また、ギャップ構造もフェルミポケットによって異なり、異方的であったり、ボゴリューボフ準粒子励起のノード(ギャップがゼロになる点)を持つ可能性も指摘されています。
このように、多バンド超伝導体における超伝導ギャップは単一ではなく、その振る舞いは各バンドの性質とバンド間の相互作用によって決定される極めて複雑な様相を呈します。この「多重性」と「相互作用」こそが、多バンド超伝導体の物理を特徴づける鍵となります。
多重ギャップ構造の実験的観測アプローチ
多重超伝導ギャップ構造を実験的に明らかにするためには、様々な手法が用いられます。それぞれの実験手法は、異なる情報を与え、総合的に解析することで初めて全貌が見えてきます。
- 角度分解光電子分光 (ARPES: Angle-Resolved Photoemission Spectroscopy): フェルミ面構造、バンド分散、および超伝導ギャップの波数依存性や温度依存性を直接的に観測できる最も強力な手法の一つです。特定の運動量でのエネルギーギャップを測定することで、各バンドにおけるギャップサイズやその異方性を明らかにすることができます。多バンド系では、異なるフェルミ面に現れる複数のギャップを同時に観測することが可能です。
- 走査型トンネル顕微鏡/分光 (STM/STS: Scanning Tunneling Microscopy/Spectroscopy): 物質表面の局所的な電子状態や超伝導ギャップを空間分解能高く測定できます。STSでは、トンネルコンダクタンススペクトル(dI/dV)からボゴリューボフ準粒子励起スペクトルを測定し、超伝導ギャップの大きさを評価します。不純物散乱がギャップ構造に与える影響など、局所的な情報を得るのに適しています。多バンド系では、表面における複数のギャップ構造を観測することが報告されています。
- 比熱測定: 超伝導状態における電子比熱の温度依存性は、超伝導ギャップの性質を反映します。単一の等方的ギャップを持つBCS超伝導体では指数関数的な温度依存性を示しますが、複数のギャップを持つ系や異方的ギャップを持つ系では、異なる振る舞いを示します。例えば、MgB$_2$では、2つの超伝導ギャップに対応する比熱異常が観測されています。
- ミュオンスピン緩和 ($\mu$SR: Muon Spin Rotation/Relaxation): 物質中に注入されたミュオンのスピン歳差運動を観測することで、内部磁場分布に関する情報を得ることができます。超伝導状態では、マイスナー効果による磁束の排除により内部磁場分布が生じますが、特に第二種超伝導体の渦糸状態における内部磁場分布は、超流体密度や超伝導ギャップ構造に敏感です。複数のギャップを持つ系では、異なる超流体成分が寄与するため、磁場分布の温度依存性などから多重ギャップ構造を示唆する情報を得られる場合があります。
- 核磁気共鳴 (NMR: Nuclear Magnetic Resonance) / 核四重極共鳴 (NQR: Nuclear Quadrupole Resonance): 原子核のスピン緩和率(1/T1)は、超伝導ギャップによる励起状態の抑制を敏感に反映します。単一の等方的ギャップを持つBCS系では、臨界温度直下でヒーベル・スリックのコヒーレンス効果による増加が見られた後、指数関数的に減少しますが、ノードを持つギャップや多重ギャップを持つ系では異なる温度依存性を示します。
これらの実験結果を、第一原理計算に基づくバンド構造計算や、多バンド系に対する超伝導理論(例えば、多バンドBCS理論、ELIashberg理論、Ginzburg-Landau理論の拡張など)と比較検討することで、多バンド超伝導体におけるペアリングメカニズムや多重ギャップ構造の理解が進められています。
最新の研究動向と未解決課題
多バンド超伝導体の研究は現在も非常に活発です。特に、鉄系超伝導体におけるペアリングメカニズムの解明や、高圧下超伝導を示す水素化物における超高Tcの発現機構と多重ギャップの関係、トポロジカルな性質と多バンド超伝導の連携などが最新のホットトピックとなっています。
例えば、鉄系超伝導体では、スピン揺らぎ説と軌道揺らぎ説が競合しており、バンド間相互作用の役割や、電子相関の強さが超伝導に与える影響などが詳細に研究されています。また、ネマティック相(電子的な秩序相)との関係性も重要な課題です。これらの系で観測される多様なギャップ構造(等方的、異方的、ノード付き、符号反転など)を統一的に理解するための理論構築が求められています。
高圧下水素化物超伝導体では、Tcが200 Kを超えるものが報告されており、フォノンを介したBCS機構が主要であると考えられていますが、その極めて高いTcを説明するためには、水素の高い振動周波数と電子-フォノン相互作用の強さ、そして多バンド性が重要な役割を果たすと考えられています。複雑な結晶構造と電子状態を持つこれらの物質における多バンド性や多重ギャップ構造を実験的に検証することは、高圧という制約もあり困難を伴いますが、理論と実験の両面からのアプローチが進められています。
未解決課題としては、以下の点が挙げられます。 * 多バンド系におけるペアリング対称性とメカニズムの統一的な理解 * バンド間相互作用の強さと種類が超伝導特性に与える影響の定量的評価 * 複数の超伝導ギャップを持つ系の非平衡状態や動的応答の解明 * 不純物や結晶欠陥、表面効果が多重ギャップ構造に与える影響の制御と評価 * 新しい多バンド超伝導物質の探索と、その超伝導特性の設計指針の確立
これらの課題に対する研究は、基礎物理学的な興味だけでなく、より高い臨界温度を持つ超伝導材料や、新たな機能を持つ超伝導素子の開発にも繋がる重要な意義を持っています。
結論
多バンド超伝導体は、複数の電子バンドとそれらの間の相互作用が引き起こす多重超伝導ギャップという、単バンド超伝導体には見られない複雑かつ魅力的な物理現象の宝庫です。MgB$_2$から鉄系超伝導体、高圧下水素化物に至るまで、様々な物質系で多バンド性に起因する超伝導特性が観測されており、その解明にはARPES、STM/STS、比熱、μSR、NMR/NQRなど、多様な実験手法と高度な理論計算が不可欠です。
多バンド超伝導体の研究は、超伝導ペアリングメカニズムの普遍的な理解を深め、物質の電子状態と超伝導特性の関係を解明する上で極めて重要です。現在も多くの未解決課題が残されていますが、最先端の実験技術と理論手法を組み合わせることで、これらの複雑な系における超伝導の謎が解き明かされることが期待されます。このような基礎研究の進展は、将来的にリニア応用とは異なる、新しい超伝導技術の可能性を拓く礎となるでしょう。超伝導技術の「裏側」には、まだ多くの知られざる現象と可能性が秘められています。