多体局在と超伝導体の物理:乱れと相互作用が織りなす非平衡量子相と秩序相
はじめに
超伝導相は、格子や電子の自由度が熱力学的な平衡状態に達し、特定の対称性が破れることによって現れる凝縮系物質の量子相です。クーパーペアの形成とその巨視的なコヒーレンスに特徴づけられ、ゼロ抵抗やマイスナー効果といった劇的な現象を示します。これまで超伝導研究の主流は、平衡状態における秩序相の性質、材料開発、そしてそれに基づくデバイス応用(リニアモーターカーのような電力輸送から、SQUIDや量子ビットまで)にありました。
一方で、凝縮系物理学の近年における重要なトピックの一つに、「多体局在(Many-Body Localization, MBL)」相の研究があります。MBL相は、強い乱れと相互作用が共存する量子多体系において、熱化(thermalization)、すなわち孤立系のエントロピー増大則や統計力学的な振る舞いが破れる非平衡的な量子相として定義されます。MBL相では、系の初期状態に関する情報が長時間(原理的には無限時間)保持され、エネルギー固有状態は面積則エントロピーを持ちます。これは、平衡状態へと熱化する一般的な量子系の振る舞いとは根本的に異なります。
超伝導は長距離秩序を持つ平衡相であり、MBLは局所的な情報保持を特徴とする非平衡相です。この全く性質の異なる二つの量子相が、どのように一つの物理系の中に現れ得るのか、あるいは互いにどのように影響し合うのか、という問いは、凝縮系物理学における基礎的かつ挑戦的な課題となっています。本記事では、リニアのような平衡状態での大規模応用から離れ、乱れと相互作用が支配する系における超伝導性の微視的側面、特にMBL相との関連性に焦点を当て、その理論的考察、実験的アプローチ、および今後の展望について深掘りいたします。
多体局在相における超伝導性の理論的側面
超伝導性の微視的理論であるBCS理論では、フェルミ面近傍の電子間に引力的な相互作用が存在する場合に、時間反転対称性を持つクーパーペアが形成され、巨視的なコヒーレンスを持つ状態が基底状態として実現されます。しかし、系に乱れが存在する場合、電子は空間的に局在しやすくなります。相互作用のない系では、十分強い乱れによって全ての単一粒子状態が局在するアンダーソン局在が起こり、金属相や超伝導相は破壊されます。超伝導性にとって、クーパーペアを形成する電子の空間的な広がりの程度が重要であり、強い局在はその形成を妨げます。
多体局在は、このアンダーソン局在に相互作用が加わった系で起こります。相互作用が存在すると、単一粒子レベルでは局在していても、多体状態はエネルギー的に広がった状態を取りやすく、熱化へと向かうのが一般的です。しかし、MBL相では、強い乱れと相互作用が特定のバランスで共存することで、多体エネルギー固有状態が面積則エントロピーを持ち、局所的な情報の記憶が可能となります。これは、有効的な「局所保存量」が存在するためと理解されています。
MBL相における超伝導性の理論的な可能性については、いくつかの議論があります。平衡状態における超伝導はゼロ温度で定義される秩序相ですが、MBL相は無限温度でも局在性を保ち得ると考えられています(ただし、この無限温度MBLの厳密な存在については現在も議論があります)。もしMBL相が有限または無限温度で安定に存在する場合、その非平衡的な性質は超伝導秩序の維持にどのような影響を与えるのでしょうか。
MBL相における準粒子描像の崩壊は、BCS理論の基礎を揺るがす可能性があります。BCS理論はフェルミ面近傍の準粒子の振る舞いに基づいていますが、MBL相では有効的な準粒子描像が成立しないと考えられています。しかし、MBL相を記述するための理論的な枠組みとして提案されている、強く局在した準粒子的な自由度(l-bitsなどと呼ばれる)の概念を用いると、これらの局所自由度の間に引力的な相互作用が存在すれば、ある種の局所的なペアリングが形成される可能性は排除されません。ただし、これがマクロなスケールでの超伝導秩序やゼロ抵抗に結びつくかは自明ではありません。
理論的には、MBL相と超伝導相は競合関係にあると予想されます。強い乱れはクーパーペアを破壊し、MBL相は長距離のコヒーレンスを維持することを困難にするためです。しかし、乱れと相互作用のパラメータ空間において、MBL相の近傍や境界で超伝導相が出現する可能性、あるいは限定的な共存状態が存在する可能性も議論されています。例えば、非常に高い転移温度を持つ超伝導体(高温超伝導体など)においては、乱れに対する頑健性がBCS超伝導体とは異なるため、MBLとの関連性が示唆されることもあります。また、非平衡的な駆動下でのMBL相の性質と、非平衡超伝導との関連性も今後の重要な研究方向と考えられます。
実験的研究の現状と課題
多体局在相は、これまで主に冷却原子系やイオントラップといった実験プラットフォームで実現され、その非平衡ダイナミクスや局在特性が詳細に調べられてきました。これらの系は高い制御性を持ち、相互作用や乱れの度合いを調整することが可能です。しかし、冷却原子系では超伝導転移温度が非常に低く、超伝導相を同時に実現・観測することは現状では困難です。
固体物理系のプラットフォームでMBLと超伝導性の関連を探る試みも進められています。超伝導素子のアレイや量子ドットを用いた系は、人工的に乱れや相互作用を設計できる可能性を持ち、MBL相の候補系としても研究されています。これらの系では、超伝導性を電気伝導度やジョセフソン効果として観測することが可能です。特定の超伝導ナノ構造やグラニュラー超伝導体において、乱れと相互作用の強い領域での基底状態や輸送現象を調べることは、MBL相との関連を示唆する可能性があります。例えば、超伝導絶縁体転移の近傍では、クーパーペアが絶縁体的に局在するような状態が観測されており、これがMBL相と関連するのではないかという示唆的な研究も存在します。
実験的な観測における最大の課題の一つは、MBL相の判定と超伝導秩序の検出を同一の系で、かつ正確に行うことです。MBL相は非平衡的な特性(例:熱化の遅延、初期状態依存性、局所量保存)によって定義されるため、時間発展や緩和過程を詳細に追跡する非平衡測定が必要です。一方で、超伝導秩序は平衡状態での秩序パラメータ(超伝導ギャップや凝縮密度)や輸送特性(ゼロ抵抗)によって特徴づけられます。MBL相という「非平衡相」において、厳密な意味での「平衡超伝導秩序」がどのように定義・検出できるのか、あるいは全く異なる非平衡的な超伝導的振る舞いが出現するのか、といった概念的な問いも含まれます。
ナノスケールでの局所的な超伝導秩序や準粒子状態をプローブする実験手法(例:STM/STSによる局所ギャップ測定)は、乱れが存在する系における超伝導性の不均一性を調べる上で有効ですが、MBL相の非平衡的な性質を捉えるには限界があります。非線形応答測定や時間分解分光など、系のダイナミクスを捉える手法の発展が期待されます。
競合、共存、そして量子相図
乱れが強くなると、金属はアンダーソン局在によって絶縁体になります。相互作用が弱い場合は、乱れがある系では金属相からアンダーソン局在絶縁体相への転移が起こります。一方、相互作用が強い場合は、熱化金属相から多体局在相への転移が起こると考えられています。超伝導は通常、金属相から低温で出現する秩序相です。
乱れと相互作用の二つのパラメータを軸とした量子相図を考えると、MBL相と超伝導相は異なる領域に位置すると予想されます。強い相互作用と強い乱れの領域にMBL相が、弱い乱れと適切な相互作用(引力)の領域に超伝導相が存在するでしょう。問題は、これらの相がどのように相互作用し、相境界がどのように振る舞うかです。
一つの可能性として、MBL相と超伝導相は単純に競合し、乱れや相互作用を変化させると、一方の相からもう一方の相へ不連続な量子相転移を起こすことが考えられます。しかし、乱れと相互作用の特定の比率や、系 dimensionality、対称性によっては、MBL相と超伝導相が隣接し、あるいは何らかの形で「共存」する中間的な相が存在する可能性も示唆されています。ここでいう「共存」は、空間的な相分離かもしれませんし、あるいはより複雑な、両方の性質を部分的に持つような非平衡的な状態かもしれません。例えば、局所的な領域ではクーパーペアが形成されているが、長距離の位相コヒーレンスはMBL的な局在によって失われているような状態などが考えられます。
このような競合・共存のシナリオを解明することは、乱れた相互作用系における量子秩序の安定性、特に非平衡的な環境下での秩序形成という、基礎物理学的に非常に興味深い課題です。
課題と今後の展望
多体局在相における超伝導性の研究は、まだ初期段階にあります。主な課題は以下の通りです。
- 理論的な理解の深化: MBL相における有効的な準粒子描像や、非平衡的な環境下での秩序パラメータの定義など、基礎的な概念に関するさらなる理論的枠組みが必要です。乱れと相互作用の様々なモデルや、高次元系におけるMBLの振る舞いも未解明な点が多く残されています。
- 実験的な証拠: MBL相と超伝導性を同一の系で、かつ信頼性高く観測・識別する実験技術の開発が不可欠です。MBLの非平衡特性と超伝導の平衡秩序を同時にプローブする新しい実験手法や測定量の提案が求められます。冷却原子系以外の固体物理プラットフォーム、特に人工的に設計可能な超伝導ナノ構造などが有望な候補となるかもしれません。
- 材料科学との連携: MBL相の候補となりうる特定の材料系や構造(例:乱れた超伝導薄膜、ナノ粒子アレイ、相転移近傍の系など)の探索や合成も重要です。 MBL相が実現しやすい乱れの性質や相互作用の種類に関する材料科学的な知見が求められます。
これらの課題を克服し、多体局在と超伝導体の物理を探求することは、凝縮系物理学における乱れ、相互作用、非平衡性、そして量子秩序といった根源的な問題に対する理解を深めることに繋がります。また、MBL相が持つ記憶特性と超伝導体のコヒーレンス維持能力の関連性は、将来的には新しい量子情報処理アーキテクチャの可能性を示唆するかもしれません。リニア技術のような直接的な応用とは異なりますが、これは超伝導体が秘める「知られざる」量子現象の一端を探る、学術的に非常に豊かな分野であると言えます。
結論
本記事では、長距離秩序を持つ平衡相である超伝導と、乱れと相互作用によって創発される非平衡相である多体局在という、対照的な二つの量子相の関係性に焦点を当てて解説いたしました。MBL相における超伝導性の可能性、理論的な競合・共存シナリオ、そしてそれを実験的に探求する上での課題とアプローチについて概観しました。
現状では、MBL相における確立された超伝導秩序の観測例はありませんが、理論および実験の両面からの研究が進められています。この分野の研究は、凝縮系物理学の基礎を問い直し、乱れた相互作用系の量子相転移、非平衡統計力学、そして究極的には量子多体系における秩序形成のメカニズムに対する深い洞察をもたらすものと期待されます。リニア技術とは異なる文脈で、超伝導体が示す多様な物理現象を探求するこの分野は、今後ますます重要性を増していくことでしょう。