超伝導研究における局所プローブの役割:STM/STSによる非従来型超伝導体の電子状態解析
はじめに:複雑系超伝導と局所プローブ技術の必要性
リニアモーターカーに代表される大規模磁場応用から、精密な量子デバイスまで、超伝導技術の応用範囲は多岐にわたります。本ウェブサイトでは、リニア以外の知られざる超伝導技術に焦点を当て、その仕組みと活用事例を深掘りしてまいりました。特に、近年研究が急速に進展している非従来型超伝導体は、高温超伝導、鉄系超伝導、トポロジカル超伝導など、その多様な物性と機構が学術的な大きな関心を集めています。
これらの物質群は、従来のBCS理論で記述される単純なs波ペアリングとは異なる、複雑なペアリング対称性や、結晶構造、電子相との競合・共存を示します。また、組成や結晶欠陥、表面・界面の効果により、超伝導特性が空間的に不均一になることがしばしば観測されます。このような複雑な電子状態や空間的な不均一性を理解するためには、物質全体の平均的な情報だけでなく、原子スケール、あるいはナノスケールでの局所的な電子状態を直接観測する技術が不可欠となります。
走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope: STM)および走査型トンネル分光法(Scanning Tunneling Spectroscopy: STS)は、この要請に応える強力な局所プローブ技術です。STMは、探針と試料表面の間に流れるトンネル電流を利用して表面の凹凸を原子レベルの分解能でマッピングします。一方、STSは、特定の空間位置でトンネル電圧を掃引しながら電流を測定することで、その点における電子状態密度(DOS)に関する情報を得ることができます。超伝導体研究においては、このSTSによって超伝導ギャップ構造やコヒーレンスピーク、さらには渦糸芯や表面・界面における局所的なギャップ変調などを詳細に調べることが可能です。
本稿では、STM/STSが非従来型超伝導体の電子状態解析においてどのように貢献してきたか、その物理的な原理と具体的な応用事例をいくつかご紹介し、今後の研究におけるその役割と展望について議論いたします。
STM/STSによる超伝導体電子状態解析の原理
STM探針と試料表面の間に狭いトンネル障壁(真空または非常に薄い絶縁層)を設けると、量子力学的なトンネル効果により電流が流れます。このトンネル電流 ($I$) は、電圧 ($V$) と探針・試料間の距離 ($z$) に依存します。定電圧モードや定電流モードで探針を走査することで、表面の原子像を得ることができます。
超伝導体研究において特に重要なのはSTSです。探針位置を固定し、印加電圧 $V$ を掃引して $I$-$V$ 特性を測定し、その微分コンダクタンス $dI/dV$ を得ることで、試料表面の局所的な電子状態密度 $\rho_s(E)$ に関する情報が得られます。これは、探針の電子状態密度 $\rho_t(E)$ との関係において、ボルン近似の下で以下の式で与えられます。
$$ \frac{dI}{dV} \propto \rho_s(E=eV) \int_{-\infty}^{\infty} \rho_t(E') T(E', V) [f(E'-eV) - f(E')] dE' $$
ここで $T(E', V)$ はトンネル確率、$f(E)$ はフェルミ分布関数です。低温ではフェルミ分布関数の微分がデルタ関数に近づくため、探針の電子状態密度がエネルギーに対して一定であると仮定すれば、$dI/dV$ は試料の局所電子状態密度 $\rho_s(eV)$ に比例するとみなせます。
超伝導体における電子状態密度 $\rho_s(E)$ は、エネルギーギャップ $\Delta$ の存在により、フェルミエネルギー($E=0$)付近で顕著な特徴を示します。BCS理論に基づくs波超伝導体の場合、理想的な状態密度は $\rho_{BCS}(E) = \rho_n |E| / \sqrt{E^2 - \Delta^2}$ ($|E| > \Delta$)となり、ギャップ端 $|E|=\Delta$ には発散的なピーク(コヒーレンス因子によるピーク)が現れます。STSの$dI/dV$スペクトルでは、これらの特徴がトンネル抵抗や熱揺らぎによる broadening を伴って観測されます。非従来型超伝導体では、ギャップが異方的である(例えばd波)場合や、複数存在する(多バンド)、あるいは擬ギャップなどの他の電子相と共存する場合には、スペクトルはより複雑な形状を示します。STSは、このようなスペクトルを空間分解能高く測定することで、局所的なギャップ構造やその空間的なばらつきを直接的に捉えることが可能です。
非従来型超伝導体研究への応用事例
STSは、様々な非従来型超伝導体の研究において、その本質的な性質を明らかにする上で極めて重要な役割を果たしてきました。いくつかの代表的な応用事例をご紹介します。
高温銅酸化物超伝導体
高温銅酸化物は代表的な非従来型超伝導体であり、そのd波ペアリング対称性や、超伝導と競合する擬ギャップ相の存在が大きな謎となっています。STSは、銅酸化物表面の原子分解能像を取得しつつ、個々の原子位置や格子欠陥の近くでSTSスペクトルを測定することで、以下のような知見をもたらしました。
- d波超伝導ギャップの観測: 空間的に一様なd波ギャップ構造をSTM/STSによって初めて観測し、その異方性を直接的に示すスペクトル形状を得ました。ギャップのノード方向では$dI/dV$がゼロバイアス付近でも有限の値を持つことが観測されます。
- 擬ギャップの空間的・エネルギー的特性: 超伝導転移温度 ($T_c$) 以上に存在する擬ギャップが、超伝導ギャップと異なるエネルギー依存性を持ち、空間的にも不均一であることなどが明らかにされました。これは、擬ギャップ相が単なる超伝導前駆状態ではない可能性を示唆しています。
- 超伝導ギャップの空間的不均一性: 適切に準備された試料表面においても、超伝導ギャップの大きさやスペクトルの形状が空間的にばらついていることが多数報告されています。これは、電子相分離や局所的な秩序揺らぎなど、銅酸化物の複雑な電子状態を反映していると考えられています。
- 渦糸芯の電子状態: 磁場を印加して超伝導渦糸を導入し、その渦糸芯をSTMで捉えることで、芯内部の電子状態を調べることが可能です。d波超伝導体の渦糸芯では、ゼロバイアス付近に電子状態密度が集中する特徴的なピーク(ゼロバイアスコンダクタンスピーク, ZBCP)が観測され、これが理論的な予測と一致することが確認されています。
鉄系超伝導体
鉄系超伝導体は、複数の方位にギャップを持つ多バンド超伝導体であり、ネマティック秩序や反強磁性秩序との競合・共存が重要な研究テーマです。STSは、鉄系超伝導体の様々な組成や構造を持つ物質について、以下のような知見を提供しています。
- 多重超伝導ギャップの観測: 異なるエネルギー位置に複数の超伝導ギャップが存在することをSTSスペクトルから観測し、多バンド超伝導体としての性質を明らかにしました。ギャップの異方性や、バンド間のペアリング強度の違いなども STS スペクトルの解析から議論されています。
- ネマティック秩序との関連: 鉄系超伝導体の一部で観測されるネマティック秩序(結晶軸方向によって電子的な性質が異なる状態)が、超伝導ギャップの異方性や空間分布に影響を与えることがSTSによって示されています。
- 欠陥周囲の電子状態: 鉄サイトの欠陥などが超伝導状態に与える局所的な影響を、STSを用いて詳細に調べることができます。
トポロジカル超伝導体とマヨラナ粒子探索
トポロジカル超伝導体は、バルクはギャップを持つが、表面や端にディラック粒子やマヨラナ粒子のような非自明なトポロジカル励起を持つ可能性のある物質群です。特に、マヨラナ粒子はそれ自身がその反粒子であるという性質を持ち、トポロジカル量子計算の候補として大きな注目を集めています。STSは、このマヨラナ粒子を実験的に探索する上で主要なツールとなっています。
- トポロジカル表面状態の観測: トポロジカル絶縁体などが超伝導化した場合に期待されるトポロジカル表面状態や、その上に誘起される超伝導ギャップ構造をSTSで調べることができます。
- マヨラナ束縛状態の探索: トポロジカル超伝導体の渦糸芯やエッジに局在すると期待されるマヨラナ束縛状態は、ゼロエネルギーにピークを持つ電子状態密度としてSTSで観測されると予測されています。いくつかの候補物質(例: トポロジカル絶縁体/超伝導体ヘテロ構造、鉄系超伝導体の一部など)において、渦糸芯におけるZBCPが観測されており、これがマヨラナ束縛状態の証拠である可能性が議論されています。ただし、他のメカニズム(近藤効果など)によるZBCPの可能性も存在するため、さらなる実験的検証が重要です。
原子層物質・界面超伝導体
原子層物質や異種材料界面に誘起される超伝導は、低次元性や強い電界効果などの影響を受け、バルクとは異なる性質を示します。STSは、これらの系における局所的な超伝導特性を調べるのに適しています。
- 界面超伝導の局所特性: 酸化物界面(例: LaAlO$_3$/SrTiO$_3$)に形成される二次元電子ガス層の超伝導状態を、表面からSTSを用いて調べ、その空間分布やギャップ構造を解析した研究例があります。
- 単原子層物質の超伝導: 鉛やニオブの単原子層膜など、二次元的な超伝導体におけるギャップ構造や、量子サイズ効果による電子状態の変化をSTSで観測することが可能です。
課題と今後の展望
STM/STSは超伝導体研究において強力なツールですが、いくつかの課題も存在します。超高真空・極低温環境が必要であること、試料表面の清浄度が非常に重要であること、そして探針の状態が測定結果に影響を与える可能性があることなどが挙げられます。また、得られるスペクトルは表面の非常に薄い領域の電子状態を反映するため、バルクの性質と単純には対応しない場合もあります。複雑なスペクトル形状の解釈には、詳細な理論計算との比較が不可欠です。
今後の展望としては、以下のような方向性が考えられます。
- スピン分解STS: スピン偏極した探針を用いることで、スピン分解された電子状態密度を測定し、超伝導体におけるスピンの情報(例: 非従来型ペアリングにおけるスピン構造、スピン偏極伝導など)をより詳細に調べることが可能となります。
- 時間分解STS: ポンプ・プローブ分光法と組み合わせることで、超伝導状態の超高速ダイナミクスを局所的に追跡する試みが進められています。
- 多機能プローブ: STM/STSに加えて、原子間力顕微鏡(AFM)機能を組み合わせることで、トポグラフィー情報と同時に機械的特性や他の物性情報も取得する手法の開発が進んでいます。また、マイクロ波や光を用いた励起・検出と組み合わせることで、非平衡状態や高周波応答の局所測定も期待されます。
- 機械学習との連携: 大量のSTSスペクトルデータから、超伝導ギャップの分布、擬ギャップとの相関、欠陥の影響などを網羅的に解析するために、機械学習やデータサイエンスの手法を応用する試みも始まっています。
結論
走査型トンネル顕微鏡/分光法(STM/STS)は、超伝導研究において、特に非従来型超伝導体の複雑な電子状態や空間的な不均一性を原子・ナノスケールで解明するための不可欠な局所プローブ技術です。超伝導ギャップの空間分布、異なる電子相の共存、渦糸芯や欠陥周囲の電子状態など、従来のバルク測定ではアクセス困難であった多様な情報を提供してきました。高温銅酸化物、鉄系超伝導体、トポロジカル超伝導体など、様々な物質群の研究において、STM/STSは物質の本質的な性質や、期待される新しい現象(例: マヨラナ粒子)の探索に大きく貢献しています。技術的な課題は残るものの、スピン分解、時間分解、他の手法との複合化など、その発展は続いており、今後も超伝導研究の最前線を切り拓いていく上で中心的な役割を果たしていくことが期待されます。