超伝導技術の裏側

鉄系超伝導体の非従来型ペアリング機構と材料設計の最前線

Tags: 鉄系超伝導体, 非従来型超伝導, 高温超伝導, 材料科学, 凝縮系物理学

はじめに:鉄系超伝導体の発見とその意義

2008年のLaFeAsO$_{1-x}$F$_x$における転移温度($T_c$) 26 Kでの超伝導発見以来、鉄系超伝導体は高温超伝導研究における主要な研究対象の一つとなりました。これは、1986年の銅酸化物高温超伝導体発見以来、長らく見出されなかった比較的高い転移温度を持つ新たな種類の高温超伝導体であったためです。銅酸化物と同様に、鉄系超伝導体も反強磁性近傍で超伝導が出現し、キャリアドーピングによって$T_c$が最適化されるという類似性を示唆しますが、その結晶構造、電子構造、磁気特性、そして超伝導ペアリング機構には明確な違いが見られます。特に、フェルミ面構造の複雑さや、スピン・軌道自由度の関与など、非従来型超伝導機構を深く理解するための新たな舞台を提供しています。本稿では、この鉄系超伝導体の物理、特にその非従来型ペアリング機構と材料設計の最前線に焦点を当て、大学研究者の皆様にとって関心の高いであろう詳細な情報を提供いたします。

鉄系超伝導体の電子状態と磁気秩序の相互作用

鉄系超伝導体は、FeAsまたはFeSe層を共通の構造要素として持ちます。このFepnictideまたはFe-chalcogenide層が超伝導の舞台となります。Fe$^{2+}$イオンは通常、局在モーメントを持つと考えられていましたが、鉄系超伝導体ではむしろ遍歴的な電子によって磁性が担われていると理解されています。第一原理計算や角度分解光電子分光(ARPES)実験により、FeAs層やFeSe層に由来する複数のバンドがフェルミ面を形成していることが明らかになっています。特徴的なのは、ガンマ点($\Gamma$)近傍に存在するホールライクなフェルミポケットと、M点(またはX点、Y点)近傍に存在する電子ライクなフェルミポケットです。これらのフェルミ面はネスティング条件を満たしており、これがスピン密度波(SDW)と呼ばれる反強磁性秩序や、その近傍での超伝導発現に深く関わっていると考えられています。

多くの親物質は、冷却時に構造相転移(通常、正方晶から斜方晶へ)を起こし、その直下でSDW転移を示します。キャリアドーピングや圧力印加によってこの磁気秩序が抑制されると、超伝導が出現し、$T_c$が上昇するドーム状の相図を描くことが一般的です。このSDW秩序は単なる競合相ではなく、超伝導ペアリング機構において重要な役割を果たしている可能性が示唆されています。SDW秩序によって誘起される磁気的な揺らぎ(スピン揺らぎ)が、超伝導クーパーペアの形成を媒介するというシナリオが有力視されています。

非従来型ペアリング機構:スピン揺らぎと軌道自由度

鉄系超伝導体における超伝導ギャップの対称性は、その非従来性を理解する上で極めて重要です。実験的にはNMR、STM/STS、比熱、熱伝導率などの測定から、超伝導ギャップがノードを持たない、あるいは少なくとも部分的または偶発的なノードを持つ多ギャップ構造である可能性が示唆されています。特に、s±波と呼ばれるペアリング状態が有力な候補として議論されています。このs±波状態では、$\Gamma$点とM点のフェルミポケットで超伝導ギャップの符号が反転しています。

このs±波ペアリングは、フェルミ面のネスティングによって強調されるモードであるスピン揺らぎによって媒介されると考えられています。理論モデルでは、Fe-Fe間の遍歴的な電子の相互作用を記述する多軌道 Hubbard モデルや、その弱結合極限であるRPA (Random Phase Approximation) 計算などが用いられ、電子ライク・ホールライクフェルミ面間の散乱が$s\pm$波超伝導を強く支持することが示されています。

さらに、鉄系超伝導体ではスピン自由度だけでなく、鉄の3d軌道自由度も超伝導機構に深く関わっていることが分かってきています。構造相転移やSDW転移の直前には、軌道秩序やネマティック秩序と呼ばれる電子状態の異方性が見られます。このネマティック性は、電子相関、特に軌道選択的な相関によって引き起こされると考えられており、超伝導ギャップの異方性やペアリング機構にも影響を与えている可能性が指摘されています。ネマティック性を抑制することで、$T_c$が向上する例もあり、軌道自由度とスピン自由度、そして超伝導との複雑な相互作用が、鉄系超伝導体の物性を理解する鍵となっています。

代表的な材料系とその多様な特性

鉄系超伝導体は、その結晶構造に基づいていくつかのファミリーに分類されます。 - 1111系: RFeAsO (R=希土類元素) 型。LaFeAsO${1-x}$F$_x$ (Tc=26K) や SmFeAsO${1-y}$ (Tc=55K) など、最初の鉄系超伝導体が見つかったファミリーです。高いTcを示すものがありますが、合成に高圧が必要な場合が多いです。 - 122系: AFe$2$As$_2$ (A=アルカリ土類金属またはアルカリ金属)。BaFe$_2$As$_2$にKをドープした (Ba${1-x}$K$x$)Fe$_2$As$_2$ (Tc=38K) などが代表的です。単結晶育成が比較的容易であり、様々な物性測定や高磁場応用研究が進んでいます。 - 111系: AFeAs (A=アルカリ金属)。LiFeAs (Tc=18K) など。このファミリーは親物質がSDW転移を起こさず、化学量論組成で超伝導を示す点が特徴的です。 - 11系: FeSe、FeTe${1-x}$Se$x$。FeSeはバルクで比較的低いTc(約8K)を示しますが、圧力下では30K以上に上昇します。また、SrTiO$_3$基板上に単層FeSe薄膜を作製すると、Tcが100Kを超えるという報告もあり、界面効果や電子相関増強が議論されています。FeTe${1-x}$Se$_x$は拓トポロジカル超伝導候補物質としても注目されています。

これらのファミリー以外にも、FeSeインターカレーション化合物や、カゴ状構造を持つ化合物など、多様な鉄系超伝導体が報告されており、それぞれが独自の電子状態や相図を示し、非従来型超伝導機構の理解に新たな知見をもたらしています。

材料設計と合成技術の進展

鉄系超伝導体の研究における重要な課題の一つは、高品質な試料の合成です。バルク単結晶、多結晶バルク、薄膜など、研究目的や応用目標に応じて最適な合成手法が選択されます。

化学置換も重要な材料設計戦略です。FeサイトをCoやNiで置換したり、AsサイトをPやSeで置換したりすることで、キャリア濃度や結晶構造、磁気特性が変化し、$T_c$を制御することができます。これにより、系統的な相図研究や、様々なペアリング状態の探索が可能となります。また、圧力印加による研究も盛んに行われており、静水圧や単軸歪み圧力が超伝導特性に与える影響が詳細に調べられています。

応用研究の現状と課題

鉄系超伝導体は、その高い臨界磁場($H_{c2}$)と比較的高い転移温度から、産業応用への期待も寄せられています。特に高磁場環境下での応用、例えばNMR、MRI、粒子加速器、核融合炉用マグネットなどへの利用が考えられています。

応用研究においては、高い臨界電流密度($J_c$)の実現と、実用的な温度・磁場範囲での安定した特性が求められます。ピン止め点の導入による磁束フロー抑制、線材・テープ作製プロセスの最適化、粒界での電流輸送特性の改善などが今後の主要な研究課題となります。

結論:未解決課題と今後の展望

鉄系超伝導体は、発見から十数年が経過しましたが、その非従来型超伝導機構については依然として多くの未解決課題が存在します。特に、スピン揺らぎと軌道自由度の相互作用、ネマティック秩序と超伝導との関連、多バンド構造におけるペアリングの多様性など、その物理は極めて豊かで複雑です。

今後の研究は、これらの基本的な物理機構の解明に加えて、新たな鉄系超伝導体の探索、より高品質な試料の合成、そして実用化に向けた材料設計とプロセス開発に進展していくと考えられます。特に、異種材料界面での超伝導現象や、人工的に構造を制御した超格子・ナノ構造における超伝導特性の研究は、新たな材料設計の指針を与える可能性があります。

鉄系超伝導体の研究は、高温超伝導の普遍的な機構を理解するためだけでなく、強相関電子系や多軌道系の物理、そして超伝導材料科学のフロンティアを切り拓く上で、今後も重要な役割を果たし続けるでしょう。