超伝導技術の裏側

非弾性散乱が解き明かす非従来型超伝導体のペアリング対称性と励起

Tags: 超伝導, 非弾性散乱, ペアリング対称性, 励起, 凝縮系物理, 非従来型超伝導

はじめに

リニアモーターカーに代表される応用技術は超伝導現象の持つ巨視的な量子性を実証するものであり、私たちの社会に大きなインパクトを与えています。しかし、超伝導技術の奥深さはそれだけに留まりません。特に、銅酸化物、鉄系、重いフェルミオン系などに代表される「非従来型超伝導体」は、従来のBCS理論で説明されるフォノン媒介のs波ペアリングとは異なる、より複雑なメカニズムやペアリング対称性を持つことが知られています。これらの非従来型超伝導体における超伝導状態の本質を理解することは、高温超伝導や室温超伝導の実現に向けた基礎研究において極めて重要です。

非従来型超伝導体では、クーパーペアを形成する attractive interaction の起源がフォノン以外(例えばスピン揺らぎや電荷揺らぎ)である可能性が広く議論されており、また、ペアリングを記述する波動関数が運動量空間において異方的である(d波、p波など)と考えられています。これらの微視的な情報を実験的にプローブすることは容易ではありませんが、非弾性散乱実験は、物質内部のelementary excitation(素励起)のエネルギー分散や運動量依存性を直接的に測定できる強力な手法であり、非従来型超伝導体のペアリング対称性やその起源を探る上で、極めて重要な役割を果たしています。

非弾性散乱の原理と超伝導体への適用

非弾性散乱は、入射粒子(例えば中性子やX線)が物質中の励起とエネルギーおよび運動量を交換する過程を観測する実験手法です。入射粒子のエネルギー $E_i$ と運動量 $\mathbf{k}_i$ が散乱後のエネルギー $E_f$ と運動量 $\mathbf{k}_f$ に変化したとき、物質が受け取るエネルギーと運動量はそれぞれ $\hbar \omega = E_i - E_f$ および $\hbar \mathbf{Q} = \hbar (\mathbf{k}_i - \mathbf{k}_f)$ で与えられます。非弾性散乱実験では、この $(\omega, \mathbf{Q})$ 空間における散乱強度 $S(\mathbf{Q}, \omega)$ を測定することで、物質中の素励起の分散関係 $\omega(\mathbf{Q})$ を直接的に決定することが可能です。

超伝導体、特に非従来型超伝導体における非弾性散乱の主なターゲットは、スピン励起、フォノン、そして超伝導ギャップに関連した電子励起です。

  1. スピン励起 (Spin Excitations): 非弾性中性子散乱は、中性子のスピンと物質中のスピンとの相互作用を利用するため、磁気的な素励起、特にスピン波やスピン揺らぎを観測するのに非常に有効です。多くの非従来型超伝導体は、超伝導転移温度 $T_c$ の近くで反強磁性的なスピン相関が強いことが知られています。超伝導状態において、このスピン励起スペクトルがどのように変化するかを観測することで、スピン揺らぎがクーパーペア形成にどのように関与しているか、あるいはペアリング対称性がスピン励起とどのように結びついているかといった情報が得られます。例えば、d波超伝導体では、反強磁性的相関を持つ特定の運動量 $\mathbf{Q}_{AF}$ 近傍で、超伝導ギャップ以下のエネルギー領域にスピン励起スペクトルが増強される「スピン共鳴ピーク」が出現することが理論的に予測されており、実際に多くの銅酸化物高温超伝導体で観測されています。このスピン共鳴ピークのエネルギーや運動量依存性は、超伝導ギャップの大きさやその異方性、さらにはペアリングを媒介する相互作用の性質に関する重要な情報を提供します。

  2. フォノン (Phonons): 非弾性中性子散乱や非弾性X線散乱は、原子の格子振動であるフォノンの分散関係を測定するのにも用いられます。従来のBCS理論ではフォノンがペアリングを媒介しますが、非従来型超伝導体においてもフォノンが何らかの役割を果たしている可能性は排除できません。超伝導転移に伴うフォノンスペクトルの異常(例えば、特定のフォノンモードの軟化や、線幅の変化)を観測することで、超伝導状態における電子-格子相互作用の変化や、フォノンがペアリングに寄与しているかどうかを評価できます。

  3. 電子励起 (Electronic Excitations): 超伝導状態では、フェルミ準位にエネルギーギャップが開きます。このギャップより低いエネルギーを持つ準粒子励起は抑制されますが、特定のペアリング対称性を持つ場合(例えば、d波やノードを持つペアリング)、ギャップノード方向に沿って低エネルギーの準粒子励起が存在し得ます。また、超伝導ギャップを超えるエネルギー領域や、集合励起としてのヒッグスモードや集団モードなども存在します。共鳴非弾性X線散乱 (RIXS) は、特定の原子の電子軌道に共鳴するX線を利用することで、特定の運動量における電子励起をプローブする手法であり、近年、銅酸化物や鉄系超伝導体における低エネルギー電子励起やスピン・電荷揺らぎの観測に威力を発揮しています。超伝導状態におけるRIXSスペクトルの変化から、クーパーペアの形成に伴う電子相関の変化や、ギャップ構造に関する情報を得ることができます。

具体的な研究事例

非弾性散乱実験は、多くの非従来型超伝導体の研究において決定的な役割を果たしてきました。

課題と今後の展望

非弾性散乱実験は、超伝導体の微視的な励起構造を解明する強力なツールですが、いくつかの課題も存在します。まず、高品質な大型単結晶試料が必要であることが多く、特に新しい超伝導材料の開発においては試料準備が大きなハードルとなり得ます。また、低エネルギー励起を観測するためには、高いエネルギー分解能を持つ装置が必要であり、利用可能な研究施設(例えば、大型放射光施設や中性子散乱施設)は限られています。

しかしながら、実験技術の進歩は目覚ましく、より小さな試料サイズでの測定や、高分解能での測定が可能になりつつあります。共鳴非弾性X線散乱のような新しい手法の発展は、特定の元素や軌道に選択的な励起測定を可能にし、超伝導メカニズムの解明に新たな道を開いています。

今後は、非弾性散乱実験によって得られる詳細な励起スペクトル情報を、第一原理計算やモデル計算による理論予測と比較・統合することで、非従来型超伝導体におけるペアリング対称性や相互作用の起源に関するより包括的な理解が進むと期待されます。異なる測定手法(例えば、STM/STS、ARPES、μSRなど)から得られる知見と組み合わせることで、複雑な非従来型超伝導体の全貌が徐々に明らかになっていくでしょう。

結論

非弾性散乱実験は、エネルギーと運動量の両方を直接プローブできる点で、非従来型超伝導体の微視的物理を理解する上で非常にユニークかつ強力な手法です。特に、スピン励起や電子励起スペクトルの測定を通じて、ペアリングを媒介する相互作用の性質、ペアリング対称性、そして超伝導状態における低エネルギー励起構造に関する貴重な情報を提供します。銅酸化物、鉄系、重いフェルミオン系など、様々な材料系における非弾性散乱研究は、それぞれの系固有の超伝導メカニズムの解明に大きく貢献してきました。

今後、実験技術と理論解析手法のさらなる発展により、非弾性散乱は、まだ見ぬエキゾチックな超伝導状態の発見や、既存の超伝導体の理解を深めるための鍵となり続けるでしょう。この知られざる超伝導技術の側面は、基礎科学の発展だけでなく、将来的な革新的な超伝導応用技術の創出にも繋がる可能性を秘めています。