カイラル超伝導体の物理:非従来型ペアリングとエッジ励起の探索
はじめに:カイラル超伝導の世界へ
超伝導現象は、電気抵抗ゼロという巨視的な量子現象として知られていますが、その微視的な起源であるクーパーペアの対称性には多様な形態が存在します。従来のBCS理論で説明されるs波超伝導体では、クーパーペアは時間反転対称性を保ち、空間反転対称性も持つスピン一重項状態(s波)を形成します。しかし、多くの非従来型超伝導体では、より複雑なペアリング対称性が実現しており、それによってバルク物性や表面・界面での性質が大きく変化します。
特に、時間反転対称性を破る超伝導状態の一つとして、「カイラル超伝導体」が大きな注目を集めています。カイラル超伝導体では、クーパーペアが軌道角運動量を持つ状態(例えばp波やd波)で凝縮し、その際に特定の方向への回転対称性が自発的に破れます。これにより、系全体としてネットの角運動量や、特定の向きの電流が生成される可能性があります。これは、超伝導体という巨視的な量子系に、ミクロなカイラリティ(右巻き・左巻き)が発現する興味深い現象です。
本稿では、リニアモーターカーなどで利用される伝統的なNbTiやNb3Snといったs波超伝導体とは一線を画す、カイラル超伝導体の物理に焦点を当てます。その理論的な基礎、代表的な候補物質における実験的証拠、そしてカイラル超伝導体に特有のエッジ(境界)での励起状態について深く掘り下げます。
カイラリティと非従来型ペアリング対称性
超伝導状態のペアリング対称性は、エネルギーギャップ関数 $\Delta(\mathbf{k})$ の波数 $\mathbf{k}$ 空間での振る舞いによって特徴づけられます。s波超伝導体では $\Delta(\mathbf{k})$ はほぼ一定ですが、非従来型超伝導体では $\mathbf{k}$ に依存します。カイラル超伝導体の場合、エネルギーギャップ関数は特定の組み合わせの軌道角運動量を持つ状態をとります。
例えば、二次元系におけるp波超伝導では、エネルギーギャップが $\Delta(\mathbf{k}) = \Delta_0 (k_x \pm i k_y)$ のような形式で表される状態が考えられます。ここで、+iと-iはそれぞれ右巻き・左巻きのカイラリティに対応し、どちらか一方の状態が選ばれることで時間反転対称性が破れます。このギャップ関数は、波数ベクトル $\mathbf{k}$ を原点の周りで回転させたときに位相因子 $e^{\pm i\theta}$ を獲得するため、軌道角運動量 $L_z = \pm \hbar$ に対応する性質を持ちます。
同様に、d波超伝導においても $\Delta(\mathbf{k}) = \Delta_0 (k_x \pm i k_y)^2$ のような状態はカイラルd波超伝導と呼ばれ、軌道角運動量 $L_z = \pm 2\hbar$ に対応します。このようなカイラルなペアリング状態が実現するためには、結晶構造の対称性や電子相関の性質が重要な役割を果たします。
時間反転対称性の破れは、様々な実験手法によって検出可能です。例えば、スピン偏極のない通常金属と超伝導体の界面におけるジョセフソン効果において、時間反転対称性が破れた超伝導体では位相差ゼロで常流(ジョセフソン電流が流れる)が生じうるなど、特徴的な振る舞いが見られます。また、ミュオンスピン緩和 ($\mu$SR) 測定は、時間反転対称性の破れに伴う内部磁場の発生を検出する強力な手法です。カイラル超伝導体では、クーパーペアの軌道角運動量に伴う微小な磁場が発生し、$\mu$SRスペクトルの緩和率が増加することが期待されます。
代表的な候補物質と実験的証拠:Sr₂RuO₄を中心に
カイラルp波超伝導体の最も有名な候補物質は、層状ペロブスカイト酸化物であるルテニウム酸化物 Sr₂RuO₄ です。この物質は、Tcが約1.5 Kと比較低いものの、その超伝導状態の性質が長年にわたり精力的に研究されています。
Sr₂RuO₄がカイラルp波超伝導体である可能性は、当初、そのノーマル状態が強磁性的ゆらぎを持つこと、そしてクーパーペアがスピン三重項状態である可能性を示唆するNMRナイトシフト測定の結果に基づいて提唱されました。スピン三重項ペアが軌道角運動量を持つと、全体としてカイラルp波状態(例えば $(k_x + ik_y) \uparrow\uparrow$ または $(k_x + ik_y) (\uparrow\downarrow + \downarrow\uparrow)/\sqrt{2}$ のような状態)を形成し得ると考えられたためです。
しかし、その後のNMRナイトシフト測定の精密化や、応力下での測定、非弾性中性子散乱測定など、多角的な研究が行われるにつれて、Sr₂RuO₄のペアリング対称性に関する議論は複雑化しています。特に、最近のNMRナイトシフト測定では、超伝導転移温度以下でナイトシフトがほとんど変化しないという初期の結果とは異なり、ある程度の低下が見られることが報告されており、スピン三重項性に疑問が投げかけられています。
一方で、Sr₂RuO₄における時間反転対称性の破れを示唆する実験結果は依然として重要です。$\mu$SR測定は、超伝導転移温度以下で内部磁場が発生することを示しており、これはカイラル状態の証拠と考えられてきました。また、偏極中性子散乱実験も、超伝導相における微小なカイラリティ由来の磁化を示唆しています。
さらに、Sr₂RuO₄のもう一つの特徴として、超伝導相におけるネマティック性(系の回転対称性が離散的に破れる現象)の兆候が報告されています。これは、純粋なカイラルp波状態(ユニタリな $(k_x \pm ik_y)$ 状態)とは異なる、より複雑な混成状態や、結晶の構造的な側面との相互作用を示唆する可能性があり、現在活発な研究が行われています。
Sr₂RuO₄以外にも、カイラル超伝導体の候補としては、ウラン系化合物(UPt₃など)や、最近では非中心対称超伝導体の一部でもカイラル状態の可能性が議論されています。非中心対称超伝導体では、結晶構造に空間反転中心がないため、ラーシュバ型スピン軌道相互作用によってスピン一重項とスピン三重項状態が混じり合います。このような系では、時間反転対称性を破るカイラルなペアリング状態が実現しうることが理論的に示されています。
カイラル超伝導体に特有のエッジ励起状態
カイラル超伝導体の最も理論的に魅力的な特徴の一つは、その境界(バルクの終端や不純物による欠陥の周り)に局在する、カイラルな励起状態の存在予測です。これらのエッジ状態は、バルクのエネルギーギャップ内部に存在し、ギャップレス分散を持つ場合があります。特に、Sr₂RuO₄のようなp波超伝導体では、エッジにカイラルなマヨラナフェルミオン励起が存在することが理論的に予測されています。
マヨラナフェルミオンは、粒子とその反粒子が同一であるという特殊な性質を持つフェルミオンです。凝縮系物理学においては、量子的な準粒子として実現することが期待されており、特にカイラルp波超伝導体のエッジ状態やトポロジカル超伝導体の表面状態に現れると考えられています。カイラル超伝導体のエッジに沿って伝播するマヨラナモードは、カイラルな方向性(一方通行)を持ち、スピン偏極しているなどの特徴を持つと予測されています。
これらのエッジ状態を実験的に検出することは、カイラル超伝導体であることの強力な証拠となり、またマヨラナ粒子の性質を調べる上で非常に重要です。走査型トンネル顕微鏡(STM)を用いた局所的な状態密度の測定は、エッジでのギャップ内状態の存在を検証する手法の一つです。また、超伝導量子干渉計(SQUID)やジョセフソン接合を用いた実験は、エッジに沿って流れるカイラルな電流(エッジカレント)の存在を探索するために行われています。エッジカレントは、バルクの時間反転対称性の破れに起因し、超伝導状態の基底状態における準粒子が存在しないにも関わらず流れる特徴的な電流です。
熱輸送測定も、カイラルエッジ状態の証拠を探索するための重要な手法です。カイラルなギャップレス励起がエッジに存在する場合、超伝導相の非常に低い温度領域で、量子化された熱ホール伝導度 ($\kappa_{xy}/T \sim N (k_B^2/\hbar) \pi / 6$, ここでNはカイラルモードの数) が観測されることが期待されます。これは、電荷を持たない中性の励起(準粒子やフォノンなど)による熱輸送とは異なり、カイラルな準粒子モードに特有の熱輸送チャンネルを示唆します。Sr₂RuO₄では、初期には熱ホール効果の兆候が報告されていましたが、その後の実験では明確な量子化は見られておらず、さらなる精密な測定が待たれる状況です。
応用可能性と今後の展望
カイラル超伝導体が持つ非従来的な性質は、様々な新規機能素子への応用可能性を示唆しています。最も注目されているのは、トポロジカル量子計算への応用です。カイラルp波超伝導体のエッジに現れるマヨラナフェルミオンは、非可換統計に従うエンタングルした状態を形成すると予測されており、これを利用することで、デコヒーレンスに対して強い耐性を持つ量子ビット(トポロジカル量子ビット)を構築できる可能性があります。これは、超伝導量子ビットとは異なるアプローチであり、量子計算研究における重要な方向性の一つです。
また、カイラル超伝導体は、その時間反転対称性を破る性質から、スピン流制御や、スピンカロリトロニクスといった分野においても新しい機能を発現する可能性があります。超伝導状態におけるスピン流輸送やスピン状態の操作は、スピントロニクスと超伝導を融合させた超伝導スピントロニクスの分野で活発に研究されており、カイラル超伝導体はスピンに依存した超伝導ペアリングやエッジ状態を持つため、この分野に新しい原理をもたらすことが期待されます。
今後のカイラル超伝導体の研究は、Sr₂RuO₄のペアリング対称性の最終的な解明、新しいカイラル超伝導体候補物質の探索と合成、そしてマヨラナエッジ状態やカイラルエッジカレントなどの特異な励起状態の確実な実験的検出が重要な課題となります。特に、局所的なプローブを用いたエッジ物性の詳細な研究や、清浄な表面・界面を持つ高品質結晶の育成技術の向上が求められています。
カイラル超伝導体は、単に新しい超伝導状態というだけでなく、時間反転対称性の破れ、トポロジカル物性、強相関電子系物理が複雑に絡み合う、凝縮系物理学の最先端における豊かな研究対象です。その深遠な物理の解明と、将来的な技術応用への可能性は、今後も多くの研究者の関心を集め続けるでしょう。
結論
本稿では、リニア技術とは異なる文脈で重要な非従来型超伝導体の一つであるカイラル超伝導体に焦点を当て、その理論的基礎、代表的な候補物質Sr₂RuO₄における実験的状況、そしてカイラルエッジ状態の物理について概説しました。カイラル超伝導体は、時間反転対称性の破れと特徴的な軌道角運動量を持つペアリング対称性により、バルクおよび境界でユニークな物理現象を示します。Sr₂RuO₄は長年その代表的な候補として研究されてきましたが、そのペアリング対称性には未解決の課題も残されています。しかし、カイラル超伝導体はマヨラナフェルミオンなどのエッジ励起を持つ可能性があり、これはトポロジカル量子計算などの将来技術への示唆に富んでいます。今後も、新しい候補物質の探索や、高度な実験手法による物性解明を通じて、カイラル超伝導体の物理とその応用可能性に関する理解がさらに深まることが期待されます。