超伝導体におけるアンドレーエフ束縛状態の物理:起源、観測、および機能応用への展望
はじめに
超伝導体と他の物質との界面において発現する特異な物理現象は、基礎研究および応用研究の両面で長年にわたり重要な研究対象であり続けています。その中でも、ノーベル賞受賞者であるアレクセイ・アンドレーエフによって理論的に予言された「アンドレーエフ反射」およびそれに付随する「アンドレーエフ束縛状態 (Andreev Bound States: ABS)」は、超伝導近接効果の本質を理解する上で極めて基本的な概念です。
通常、金属中の電子が超伝導体に入射すると、超伝導ギャップ以下では状態密度が存在しないため、電子は超伝導体に入り込めず反射されます。しかし、アンドレーエフ反射では、入射した電子が超伝導体内部でクーパーペアとして取り込まれると同時に、運動量を反転させたホールが元の物質側へ「反射」されるという非弾性散乱過程が生じます。このプロセスは、電荷 ($+e$) を持つ電子が電荷 ($-e$) を持つホールに変換されるにも関わらず、電荷 ($+e$) が超伝導体へ流入し、電荷 ($-e$) が外部へ流出することで、正味の電荷 ($+2e$) を超伝導体へ運び込むことになります。これはクーパーペアの形成・消滅と等価であり、超伝導相関が非超伝導体側へ浸み出す(近接効果)際の主要なメカニズムの一つです。
特に、金属や半導体、あるいはトポロジカル物質と超伝導体の界面構造においては、このアンドレーエフ反射が複数回起こることで、界面近傍に準粒子が局在した束縛状態が形成されます。これがアンドレーエフ束縛状態です。これらの状態は超伝導ギャップ内部にエネルギーを持ち、界面の構造、超伝導体の種類、相手側物質の電子状態、そして外部磁場などによってその性質が劇的に変化します。近年、これらのABSが非従来型超伝導体のペアリング対称性をプローブしたり、トポロジカル超伝導体におけるマヨラナ束縛状態と密接に関連したりすることが明らかになり、物性物理学の最前線で大きな注目を集めています。また、その特異な準粒子ダイナミクスを利用した新しい量子デバイスへの応用も活発に研究されています。
本稿では、リニアモーターカーのような大規模電力応用とは異なる視点から、このアンドレーエフ束縛状態の物理的な起源、その多様な性質、観測手法、そして先端的な機能応用への展望について、大学研究者の皆様を対象に、より専門的な知見を深めることを目的として解説いたします。
アンドレーエフ反射の機構
金属と超伝導体 (N/S) の界面における電子の振る舞いを考えます。簡単のため、N側をフェルミエネルギー $E_F$ を持つ通常金属とし、S側をBCS超伝導体とし、超伝導ギャップ $\Delta$ が存在するとします。
N側からS側へ入射する電子 ($e$) は、エネルギー $E < \Delta$ の場合、S側で準粒子励起を許容する状態密度が存在しないため、通常反射されるはずです。しかし、アンドレーエフ反射では、電子がS側へ侵入する際に、N側のフェルミ準位近傍で運動量 $\mathbf{k}_e$ を持つ入射電子が、S側のクーパーペアプールに粒子として取り込まれ ($\mathrm{e} + \mathrm{e} \rightarrow \mathrm{pair}$)、同時にN側へ運動量 $\mathbf{k}_h = -\mathbf{k}_e$ を持つホール ($h$) として反射されます。このプロセスは、運動量保存則が界面での散乱により破れる一方で、エネルギー ($E$) とスピンが保存される準粒子変換と見なすことができます。
より厳密には、BCS理論におけるBogoliubov-de Gennes (BdG) 方程式の枠組みで記述されます。N側の準粒子は電子 ($u$) およびホール ($v$) 成分の波動関数の重ね合わせ $(\begin{smallmatrix} u \ v \end{smallmatrix})$ で表されます。N/S界面においては、波動関数が連続であるという境界条件を課すことで、入射電子波に対する反射波が、通常の電子反射波とアンドレーエフ反射によるホール波の両方を含むことが示されます。
アンドレーエフ反射の確率は、入射電子のエネルギー $E$ と超伝導ギャップ $\Delta$ の大きさ、および界面の透過率に依存します。理想的な透明界面の場合、エネルギーが超伝導ギャップ $|E| < \Delta$ の領域では、全アンドレーエフ反射が起こり、通常の電子反射波の振幅はゼロになります。これは、入射した電子がすべてアンドレーエフ反射によってホールに変換されることを意味します。$|E| > \Delta$ の領域では、通常の準粒子励起が可能になるため、アンドレーエフ反射の確率は低下し、通常の電子反射も起こります。不透明な界面や界面に不純物が存在する場合、アンドレーエフ反射の確率は低下し、通常の電子反射が増加します。
アンドレーエフ束縛状態の形成と性質
単一のN/S界面ではアンドレーエフ反射が生じますが、複数の界面を持つ構造(例えば、N/S/Nサンドイッチ構造や、不純物や界面に局在するポテンシャル散乱体と超伝導体との接触)においては、アンドレーエフ反射されたホールが再び電子に変換される(逆アンドレーエフ反射)など、複数の散乱経路を経て、準粒子が界面近傍に局在した状態を形成することがあります。これがアンドレーエフ束縛状態です。
ABSは超伝導ギャップ $|E| < \Delta$ の内部に離散的なエネルギー準位を持ちます。そのエネルギー準位は、散乱体や界面構造の形状、超伝導体のペアリング対称性、および外部環境(磁場、ゲート電圧など)によって決定されます。例えば、単純なN/S界面における準粒子散乱体によるABSのエネルギー準位は、散乱ポテンシャルの強さに依存します。透明な界面で局所ポテンシャルが強い場合、エネルギー準位はギャップ中心 ($E=0$) に近づく傾向があります。
特に重要なのは、トポロジカル物質と超伝導体のヘテロ構造におけるABSです。三次元ワイル半金属やトポロジカル絶縁体の表面状態(ディラックコーン)と超伝導体を接触させた場合、界面においてトポロジカルな性質に由来する特異なアンドレーエフ反射が生じ、ゼロエネルギーに鋭いアンドレーエフ束縛状態(ゼロバイアスコンダクタンスピークとして観測されることが多い)が出現することが予言されています。これらのゼロエネルギーABSは、パリティの異なる電子とホール成分の重ね合わせであり、粒子-ホール対称性からマヨラナ粒子(自分自身が反粒子であるフェルミオン)として振る舞う可能性があると理論的に示唆されており、トポロジカル量子計算の基本的な要素として期待されています。
超伝導体のペアリング対称性もABSの性質に大きく影響します。例えば、s波超伝導体では界面の結晶方位に依らずABSが形成されますが、d波超伝導体などの異方的超伝導体では、界面の方位やキンク構造の存在がABSのエネルギーや波数構造に影響を与え、ゼロエネルギー状態が出現する場合があります。これは、超伝導ギャップが運動量空間でノードを持つことに起因します。
アンドレーエフ束縛状態の実験的観測手法
ABSの存在や性質をプローブするための実験手法は多岐にわたります。主要な手法を以下に示します。
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走査型トンネル顕微鏡/分光法 (STM/STS): 最も直接的な手法の一つです。低温STM/STSを用いることで、超伝導体表面や界面の原子分解能でのイメージングと同時に、局所的な準粒子状態密度を測定できます。$dI/dV$ スペクトル(微分コンダクタンス)を測定することで、超伝導ギャップ内部に存在するABSのエネルギー準位をピークとして観測できます。界面や不純物近傍で空間的に分解して測定することで、ABSの空間的な広がりや局在性を評価することも可能です。特に、ゼロエネルギーでの$dI/dV$ ピークは、トポロジカル超伝導の候補物質におけるマヨラナ束縛状態のシグネチャとして広く用いられています。
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輸送測定: N/S接合やジョセフソン接合における電気伝導度測定からもABSの情報を得ることができます。例えば、単一の不純物サイトや点接触におけるコンダクタンススペクトルは、不純物サイトに形成されるABSのエネルギー準位を反映したピーク構造を示します。また、ジョセフソン接合の超流動電流は、界面に形成されるABS(Andreev Levelsと呼ばれることもあります)を流れるクーパーペアトンネル過程と見なすことができ、電流-位相関係などの輸送特性を通じてABSの情報を間接的に得ることができます。近年注目されている超伝導ダイオード効果(印加電流の向きによって臨界電流が異なる現象)の一部も、非対称なABSの分散関係に起因すると考えられています。
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マイクロ波分光: ジョセフソン接合におけるABSは、超伝導ギャップ内部に離散的なエネルギー準位を持つため、マイクロ波などの外部電磁波を照射することで、これらの準位間の遷移を誘起できます。マイクロ波の吸収スペクトルや、それに伴うジョセフソン電流の変化を測定することで、ABSのエネルギー準位構造やそのコヒーレントなダイナミクスをプローブすることが可能です。これは特に、ABSを量子ビットとして利用する研究において重要な手法です。
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比熱測定など: マクロな熱力学測定からも、ABSが全体の励起状態密度に与える影響を間接的に観測できる場合があります。例えば、ゼロエネルギーABSの存在は、低温での比熱に線形項を寄与する可能性があります。
これらの手法を組み合わせることで、ABSのエネルギー、空間分布、コヒーレンスといった様々な性質を詳細に調べることができます。
機能応用への展望
アンドレーエフ束縛状態の研究は、基礎物理学的な興味のみならず、新しい機能性デバイスへの応用という観点からも非常に重要です。
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超伝導量子ビット (Andreev Qubit): ジョセフソン接合におけるABSは、離散的なエネルギー準位を持つため、これらを量子ビットの状態として利用する研究が進められています。特に、ゲート電圧や磁場によってABSのエネルギー準位を精密に制御できる系が探索されており、従来の電荷量子ビットやフラックス量子ビットとは異なるタイプの量子ビットとして注目されています。ABSを利用した量子ビットは、長コヒーレンス時間や高速操作の可能性が期待されています。
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高感度検出器: ABSは、そのエネルギーが微細な環境変化(磁場、温度、電場など)に敏感に応答するため、高感度な検出器への応用が検討されています。例えば、マイクロ波吸収によるABS間の遷移を利用した高感度なミリ波・サブミリ波検出器などが研究されています。
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トポロジカル量子計算: 前述のように、トポロジカル物質/超伝導体界面で実現される可能性のあるゼロエネルギーABS(マヨラナ束縛状態)は、非可換統計に従うと予想されており、量子計算におけるエラー耐性の高い論理ゲート構築の要素となり得ると期待されています。マヨラナ束縛状態の存在を明確に示し、それを操作する技術の開発は、この分野における最大の目標の一つです。
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超伝導ダイオード効果: ABSの運動量依存性や非対称な散乱ポテンシャルに起因する非相反輸送は、超伝導ダイオードとして機能する可能性があります。これは、電流の向きによって抵抗ゼロの状態が異なる素子であり、超伝導エレクトロニクスにおける新しい機能性をもたらす可能性があります。
これらの応用研究はまだ発展途上の段階ですが、ABSの物理を深く理解し、その性質を精密に制御する技術が確立されれば、これまでの超伝導応用とは全く異なる、新しいブレークアップが期待されます。
まとめと今後の課題
アンドレーエフ束縛状態は、超伝導体と他の物質の界面で発現する豊かな物理現象の核心をなすものです。その起源であるアンドレーエフ反射は、超伝導近接効果や準粒子ダイナミクスの基本的な描像を提供します。界面構造、散乱体、そして超伝導体のペアリング対称性によって多様なエネルギー準位と性質を持つABSが形成され、特にトポロジカル物質との複合系では、マヨラナ束縛状態の探索という、現代物性物理学における最も挑戦的な課題の一つと結びついています。
STM/STS、輸送測定、マイクロ波分光といった高度な実験手法を用いることで、ABSの存在やその詳細な性質が徐々に明らかになってきています。これらの実験結果は、理論的な予言を検証し、ABSの物理に対する理解を深める上で不可欠です。
機能応用への展望も非常に広く、超伝導量子ビット、高感度検出器、そして究極的にはトポロジカル量子計算といった、次世代の技術基盤となり得る可能性を秘めています。
今後の課題としては、ABSのエネルギー準位や空間分布をより精密に制御する技術の確立、多体効果や非平衡状態におけるABSのダイナミクスの詳細な理解、そしてトポロジカル超伝導体におけるマヨラナ束縛状態の確実な同定とその操作法の開発などが挙げられます。これらの課題を克服するためには、理論と実験が密接に連携し、新しい物質系やナノ構造を探索していくことが求められます。アンドレーエフ束縛状態の研究は、今後も超伝導科学のフロンティアとして、基礎と応用の両面からさらなる進展が期待されます。